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福沢文明塾 コア・プログラム講義録

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第17期コア・プログラム
ベーシック・ナレッジ
「活字全盛時代の今、手書きの書が持つ意味とは」

講師:田坂州代
(書家)
ライター:永井祐子
セッション開催日:2017年6月24日

書道は日本人なら誰でも小中学校で体験する日本の伝統文化だ。とはいえ、筆で書くのはもちろん、ペンで手書きする文字にも苦手意識を持つ人は多い。ワープロ普及の副産物とも言えるが、書家である田坂さんは「今だからこそ手書きの価値は上がっている」と訴える。上手下手にとらわれない書や文字の魅力とは、どんなところにあるのだろうか。

 

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書には自分自身が表れる。だから常に成長していたい

 

この日のセッションは、開始前の準備時間に塾生全員が筆で自分の名前を書くことに挑戦した上で、事前課題への回答として寄せられた質問に答える形で、田坂さんのお話が始まった。まずは、プロの書家として活動する田坂さんの書への向き合い方についての質問に答えてくれた。

 

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【質問】一発勝負で、集中力を維持してプレッシャーに対処するために心がけていることはありますか?

正直をいうと、書いている本人はとくだん「集中しなきゃ!」とか「精神統一!」とか考えていないのです。皆さんが想像なさるよりも淡々としています。「どう書き進めようか」だけを考えているので「いかに集中するか」などという余計なことは考えるひまがない(笑)。対処法とのご質問ですが、「プレッシャーというものはあって当たり前だ」と思うようにすると過度な緊張から解放されやすいのでは?

 

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作品を書くときに、もちろん1枚で済むことは基本的にないですが、おもしろいのは、出来がいいのは1枚目か100枚目のどちらかというところです。もちろん正確に100枚という意味ではなく、1枚目か、もしくはたくさん練習した後が良くて、真ん中はあまり良くないことが多いという意味です。他の書家の方もけっこう同じようにおっしゃいますね。1枚目というのは良くも悪くも雑念がないので、技術的な出来はともかく、意外と良い感じのものが書けたりすることがあります。2枚目は、さっきああだったからこうしようというのが雑念になって出てしまう。それがだんだんトレーニングして改善して、あるラインまで来ると階段を一段上るように最初の段階とはちょっと違う世界が開けてきます。そういう階段を上りながら、最終的に良い作品になっていくという感じです。商業的な作品には締め切りがあるので、それを以てあきらめとせざるを得ない面もありますが、1年かけてひとつの作品をつくるということがあっていいと思うし、あるべきだと思います。何十年かけて作り込むということもやっていきたい。

 

【質問】大きい作品を書くときは何を考えていますか?

たとえば一文字が人間の3倍ぐらい大きなサイズのものを書くとき、書いている最中は文字の全体像が見えないので、「今この辺を書いているから……」と、高い所から見ているイメージを想像して書いています。

サイズによって書に向かう気持ちは基本的にかわらないですが、体力的なエネルギー消費の大きさは違いますね。巨大なものは体力もいるしお腹も減るし。ただ、小さいものならエネルギーがいらないかというとそういうわけでもなくて、大小にかかわらずつぎ込むエネルギーは似ているけれど、方法や質、表れ方が違うのだと思います。巨大なものを一気に書くなどは100メートル走で、巻物のような長いものを延々と書くなどはマラソン的と例えると想像していただきやすいでしょうか。

 

【質問】作品をつくるにあたって、感性を磨くために何かしていますか?

どんな芸でもそうだと思いますが、その人間がモロに現れてしまいます。私も自分の書を見て、まぬけでおっちょこちょいな感じが出ているなぁと思いますが、結局はその人間をどう鍛えるか、どこまでステキな人間になれるかに尽きてしまう。最終的にはそういうことだと思うので、たとえちょっとずつでも自分が成長できるようにと考えています。

そのためにも、自分が書家だからといって書道しか知らない人間にはなりたくない、なってはいけないと思っているので、なるべく他のジャンルにも接するようにしています。それは単に美術とか映画とか音楽とかアート系のものに限らず、自分の知らない世界、分野違いの人達と接するということも含めてです。書家の世界にはいろいろな人がいますから、「自分は書道の勉強だけに集中します」という考えの人も居るでしょう。私自身は、生きることすべてを書道に還元するつもりではいるけれど、書道しか勉強しないという道は取らないことにしました。それらは単に方法の選択の違いで、どちらが良い悪いというものではありません。あくまで私は、書オンリーではないことによって、書を高めたいのです。

 

紙にナイフを刺す感覚で、立体的に書を捉える

 

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続いて、書の持つ力やおもしろさ、そして、一般の人にとっての文字についての話題に発展していった。

 

【質問】書の魅力とはなんだと思いますか?

人間が手で書くものであること、特に1回性というところですね。油絵のように上から塗り直すことはNGで1回しかダメというところが逆におもしろいと思っています。

色の着いたものはダメなのか?と聞かれることがありますが、カラーで書かれた近現代の作品も存在するし、もっといえば昔のお経など金や銀で書いたものもたくさんあります。ではなぜ現代ですら、ほとんどのものが墨で書かれているのか。それは、その方が表現の多様性が活かせておもしろいからにほかならないと思います。

 

【質問】書を立体で表現するということについてどう思いますか?

書いた書をもとに立体的なオブジェをつくったアート作品も世の中にはすでに存在します。ただここでいう立体性は、それとは別の話です。

我々書家は書を書いているとき平面だとは思っていません。基本的には紙にナイフを刺しているような気分です。そういう意味では、常に我々は三次元的に深度のあるようなイメージで書いているのです。欧米の方が一生懸命書をマネて書いて、格好は似ていても何だか線質が弱い、ということが多いのは、「刺す線」がまだ作れていないのだろうなと感じます。「書の線の三次元性」は非常に重要な点ではあるのですが、書をなさらない方には、実感を伴って理解するのがむずかしいし、言葉ではお伝えしにくいところなので、その説明にはいつも悩みます。

 

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【質問】自分が知らない、読めない言語にも言霊を感じますか?

はい。なんて書いてあるのか意味は分からなくても、「これを書いた人は絶対に祈りを込めて書いているのだ」というようなことは伝わります。それはイタリア語のアリアを聴いて、歌詞の意味が分からなくても、「この人は泣いているんだな」と分かって感動するのと同じですね。パリのジャパンエキスポの舞台でライブパフォーマンスをしたときに「勇気」という言葉を書いて欲しいと言われて書いてプレゼントしたら、相手が涙ぐんでくださったたことがありました。言葉は通じなくても、通じるものは通じるんだなと感じた貴重な経験でした。それを言霊というのかもしれません。何かエネルギーとか思いとか書に乗せた言霊は通じるものだと確信して、非常に嬉しかったです。

 

【質問】きれいな文字を書く人は心がきれいというのは本当ですか? 字には性格が出ると思いますか?

性格やそのときの心理状態や体調が出ると思います。私も自分が風邪をひいているときに書いたものは、「これは風邪をひいている線だなあ」と感じます。整った字が心の清い人で、そうじゃないのが悪人というよりも、整った字を心地よいと感じ、それを書く動作を実行するように肉体に指令が出せる心理状態であるか、心が荒んで何かに当たり散らしている人がそういう文字がかけるだろうかと想像してみてください。

みなさんの事前課題を読むと、「自分は字が下手で」とか「コンプレックスを持っている」「子供の頃は辛かった」という声がありましたが、私としてはそんなことで悩んで欲しくないです。美的芸術的に高い表現をめざすとなると非常に険しい道で、私自身も常に悩んでいます。しかし普通みなさんが望んでいるのは、均整が取れていてそつがなく、のびのびと健康的に見える字ですよね。それは単純に技術の問題で、解決するのはそれほどハードルの高いことではありません。

後でちょっと実験してみましょうか。この中で「自分は一番字が下手だ」という自信のある人に10分だけトレーニングしてみましょう。

私が言いたいのは、技術で改善できるものは技術で改善してしまえばいい、そんなことで悩むのはもったいないということです。それはスポーツ選手がフォームを直すのと同じように、正しい理論できちんと頭で理解して身体に落とし込んでいけばいいだけの話です。自分は下手だという方の多くは、設計図がないのに無理矢理家を建てようとするからキツイのであって、手順をきちんと踏んで、まず頭に設計図を入れてしまえば、そんなに大変なことではないのです。

 

【質問】義務教育で書道をやる意味はどこにあると思いますか?

教育全般に言えることだと思いますが、子供にはなるべくいろいろなことをたくさん体験してもらうのがいいに決まっています。何がその子にフィットするか、選択肢を増やすことで可能性が広がりますから。

そして何千年も愛されてきた書にはそれだけの魅力があるはずで、人類が捨てずに受け継いできた魅力や意味があるものを、子供に体験させてみるべきだと思います。

 

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【質問】何を以て優れた書とされるのでしょうか。

評価は非常に難しいです。子供のお習字にしても、学校で褒められるものと書道塾で褒められるものとは違っていたりします。均整美重視なのか、元気、パッション重視なのかでも違ってきます。展覧会など技術を競わざるを得ない場面でも、最終的には見る側の共感、好き嫌いも入ってくるだろうし、審査する人の考え方にもよるでしょう。もちろん、技術の優劣はあります。でもそれは単純に勉強やトレーニングをしているかどうかの差でしかないのです。

 

悪筆の悩みは、技術と知識で解決できる

 

セッション後半は、塾生が筆で書いた自分の名前への講評を交えて、実際に田坂さんが筆をとって作品を書き上げるパフォーマンスを見せていただきながら、話が進められた。

 

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塾生の書について全体の印象として田坂さんが感じたのは、「さすが文明塾に来られる方は堂々と書くなぁ」という点だったという。それは、技術的な優劣の話ではなく、「おどおど、プルプルしている人はいなくて、みなさん紙面に対していい大きさで、元気にバシっと書いているという点は共通していました。変に端っこに寄っているものもなく、まさに<真ん中歩くぜ!>という感じですね」。

前半の話に出てきた「均整の取れた文字はトレーニングで習得できる」ということを実証するために、この日の参加者の中から自称「一番字が下手」と名乗り出た塾生に対して、数分間の個人レクチャーが実施された。ビフォーアフターを比べてみると、バランスが違うのが分かる。「ほんの少ししか変えていないのに、がらっと違って見えますよね。修正を必要とする箇所が実は少ないということも実感していただけたと思います。自分は生まれつき悪筆だと嘆く人がいますが、生まれてすぐに字が書ける人はいません。みなさん全員が後天的に学んでいるのですから、後天的に直せることなのです。単純に技術と知識で解決することなので、悩まないでください」。

ただし、これは均整美を目指す場合のアドバイスであって、必ずしもそれを目指す必要すらないと田坂さんは考えている。「伝達や通信文、掲示物など、均整美を以てそつなく書く技術が欲しいというのであれば、習得したほうがお得ですというだけの話です」。

それに対して、個性的な文字が好まれる例としてサインを挙げた。「アピールしたい個性から逆算してサインを作るというのもアリです。例えばアイドルはアイドルらしく、政治家は政治家らしくなど、職業や立場に合わせて、それぞれありたい自分や見てもらいたい自分に合わせた筆跡を持つというのもひとつの方法です。ありたい自分にふさわしい筆跡を日常的に目にし続けることで自分がなりたいキャラクターを自分自身の深層意識に言い聞かせる。また筆跡を通じて他者に、自分はこういう人間なのです、と自分というキャラクターを認識させる。筆跡にはそうした自己実現ツールとしての側面もあるのだと捉えてもらうと良いと思います」。

 

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最後に「17期生のイメージを書にしてほしい」という塾生からのリクエストに応じて、田坂さんは「躍」という文字を選んだ。さらに、セッションを締めくくる言葉として残してくれた「慶」という書には、慶應の慶であると同時に、「慶び」という意味も込められているという。「今日はみなさんとこういう時間を過ごせて、私もすごくうれしかったのでその気持ちを表してみました。みなさんにも、書道って何かちょっとおもしろいなと興味を持っていただけたら嬉しいです。書の技術は一度身につけてしまえば荷物にもならずにどこへでも携帯できます。こんな手軽で有益なことはないのではないでしょうか」。

 

<編集後記>

この日のセッションに先立ち、他の講師のセッションを何度も聴講した上で臨まれた田坂さん。事前課題には書や書家に対しての塾生の抱くイメージを問う設問も用意されていた。こうした準備を重ねたのは、「この場で自分にしか提供できないものは何か?を考えたかったから」だという。書家としての活動の根底には書を通じて何かを「伝えたい」という強い思いがあることを感じさせるエピソードだと思った。

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