慶應義塾

福沢文明塾 コア・プログラム講義録

このサイトについて

ホーム > ベーシックリーディング > 第17期コア・プログラムベーシック・リーディング「学問に凝る勿れ -「多事争論」を支える気概-」

第17期コア・プログラム
ベーシック・リーディング
「学問に凝る勿れ -「多事争論」を支える気概-」

講師:山内慶太
(慶應義塾大学看護医療学部 教授)
ライター:永井祐子
セッション開催日:2017年6月10日

福澤の思想から現代の課題への示唆を学ぶベーシック・リーディング。今期の共通テーマは「多事争論」。このセッションでは、多事争論を可能にするためにはどんな環境が必要なのか、さらに専門職が多事争論を行うにはどんな態度が必要とされるのかという視点で考えてみる。

 

h6ao5940.jpg

 

異端妄説と思われても、自分の思うところ述べよ

 

そもそも福澤は多事争論をどんな風に説明していたか。『文明論之概略』には次のような記述がある。

「単一の説を守れば、その説の性質は仮令純精善良なるも、之に由て決して自由の気を生ず可らず。自由の気風は唯多事争論の間に在て存するものと知る可し」「故に昔年の異端妄説は今世の通論なり、昨日の奇説は今日の常談なり」(『文明論之概略』の巻之一)

 

どんなに良いものだとしても、単一の説だけでは自由の気風は出てこない。それを生み出すには多事争論が必要だという。さらに、かつては異端妄説と言われたものも今の世では常識となり、昨日は奇妙な説と思われたものも、今日では普通に話されているものであるから、異端妄説と言われることを恐れずに自分の意見を述べるべきだというのだ。この部分の少し前にはアダム・スミスやガリレオの例を挙げ、最初は異端妄説とされたことも、異説争論を重ねて今では当たり前の説になっているではないかと書いている。

 

このように福澤は、多事争論や異端妄説を大事にすべきと考え、まずは勇気をふるって自分の思うことを言うべきであると説いていた。もし他人の意見を受け入れることができなくても、頭から拒絶するのではなく、その意味を察しながらしばらく置いておけばいいというのが、福澤の考えであった。ある意味では、福澤自身も多事争論を起こした人だった。幕末から明治になってまだ封建主義、儒教主義の強い時代に、新しいやり方を模索した福澤は、当時としてはまさに異端妄説を強く言う人だったといえるだろう。

 

 

h6ao6165.jpg

 

言うべきことを言える独立の気風を養う

 

では、多事争論ができるような人間関係を作るには、何が必要なのだろうか? 福澤が重視していたのは、<独立の気力>と<合理的、科学的精神>だ。まず、<独立の気力>とは何か。それを説明するために福澤は、独立の気力がない状態を以下のように痛烈に批判している。

 

独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る。人を恐るゝ者は必ず人に諛うものなり。常に人を恐れ、人に諛う者は、次第にこれに慣れ、その面の皮、鉄の如くなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見れば唯腰を屈するのみ。(中略)目上の人に逢えば一言半句の理屈を述ぶること能わず。立てと云えば立ち、舞えといえば舞い、その柔順なること家に飼いたる痩犬の如し。実に無気無力の鉄面皮というべし。(『学問のすすめ』第三編)

 

江戸の封建時代は独立の気風などない社会であったが、それが明治になっても払拭されていないと福澤は感じていた。顔色をうかがったり気兼ねしたりしてものが言えないということは、現代社会にも少なからずある。しかし、そのようにみんなが言うべきことを言わずにいたのではダメだと批判しているのである。いかに既成の概念、世の中の流行などにとらわれずに、上司の言うことや顔色をうかがわず、権力と称する人におもねらないでいられるか。今風の言い方だと空気を読みすぎず、同調圧力に屈しないということかもしれない。そのために福澤が主張したのが「独立の気力」なのだ。

 

h6at0819.jpg

 

 

国の文明は形を以て評すべからず。学校と云い、工業と云い、陸軍と云い、海軍と云うも、皆是文明の形のみ。この形を作るは難きに非ず、唯銭を以て買うべしと雖ども、ここに又無形の一物あり、……(中略)。真にこれを文明の精神と云うべき至大至重のものなり。蓋しその物とは何ぞや。云く、人民独立の気力、即是なり。(中略)今、日本の有様を見るに、文明の形は進むに似たれども、文明の精神たる人民の気力は日に退歩に趣けり。(『学問のすすめ』第五編)


文明とは学校や工業や軍といった形ではなく、精神が大事なのであり、その精神とは「人民独立の気力」なのだと述べている。明治の世になり文明の形は整ってきたが、精神の方はむしろ退歩しているとも指摘し、その人民独立の気風をいかに作り上げていくかということに、福澤は非常に心を砕いていた。さらに、ワットやアダム・スミスなどの西洋の例を挙げながら、国の文明というものは政府や役人からではなく、「ミッズルカラッス」、すなわち中間層から起こるものであり、中間層が独立の気風を以て新しいことに取り組んでいってこそ、文明は進むのだと考えたのだ。そして、慶應義塾においてもそれを養うことを重視していた。

 

h6at0980.jpg

 

 

この独立の気風を慶應義塾において学生たちに伝えるために、小さなことから大きなことに至るまで福澤自身も神経を使っていた。学問の集まりなのに政治家や役人が上席であるのはおかしいと異を唱えて欠席してしまうなど、特に政治や権威に対して大人気ないと思えるような行動をとることもあった。しかし、このことは後のまわりの人たちに大きな力を与えることにもなった。たとえば戦時中、慶應義塾は欧米流の自由主義の学校ということで国から抑圧をされた。そのような難しい時代に塾長を務めた小泉信三は、文部省の津力に対して毅然とした姿勢を貫いたが、福澤の強い姿勢からも力を得ていたに違いない。

 

h6at0862.jpg

日常の生活においても福澤は、上級生と下級生の間で過剰に威張ったりこびへつらったりすることがあってはいけないと戒めるなど、ひとり一人が独立した人間として育つように気を遣い、学校の雰囲気づくりに力を注いでいた。つまり、多事争論が起こるような人材を育てるには、互いに独立した個人として尊重し合うような雰囲気や環境が必要だと考えていたのだ。

 

 

疑いの目を持って科学的に思考する

 

もうひとつ福澤が重んじたのが「疑いの精神」だった。これは別の言い方をすれば、慶應義塾流の実学の精神でもある。福澤の言う実学とは単に役に立つ学問という意味ではない。たとえば『学問のすすめ』初編には、「専ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり」としてイロハ47文字などを挙げるに留まらず、「一科一学も実事を押え、その事に就き、その物に従い、近く物事の道理を求て今日の用を達すべきなり」とし、どんな種類の学問でも、まず客観的な事実を捉え、その事実に即して物事の性質や議論を極める。それをどんな身近なことにも応用していくのだと語っている。

 

h6at0778.jpg

 

 

また同じく『学問のすすめ』十二編では「学問の本趣意は読書のみに非ずして精神の働きに在り。その働を活用して実地に施すには、様々の工夫なかるべからず。ヲブセルウェーションとは事物を視察することなり。リーゾニングとは事物の通りを推究して、自分の説を付ることなり」とある。つまり、観察をすること、およびその背景にある理論や法則を見つけ出すような論理的な思考を重視しているのだ。

 

また、『福翁自伝』においても、科学的な精神と独立心を強調している部分がある。

 

国勢の如何は果たして国民の教育より来るものとすれば、双方の教育法に相違がなくてはならぬ。ソコで東洋の儒教主義と西洋の文明主義と比較して見るに、東洋になきものは、有形に於て数理学と、無形に於て独立心と、この二点である。

 

h6ao5972.jpg

 

 

西洋の列強に虐げられている東洋の国と、文明化を進めている西洋とで、その教育法を比べると、東洋には数理学と独立心が欠けているといっている。ここで強調したいのは、数理学と独立心は単に並立するだけではなく、互いに強め合うものだということだ。独立とは既存の権威や概念、時代の流行、組織の上司などにとらわれない精神である。当たり前だと思われていることや既成の権威と称する人が言っていることに対して、一種の疑いの精神を持ち、なぜおかしいのかを科学的に考えることができてこそ、独立の気概を維持できるのである。一方で、今まで当たり前と思われてきた理論に疑いの目を持って問い続けたり、それはおかしいのではないかと科学的に考えたりするには、独立の気力がなければならない。つまり、科学的な精神と独立心は、実は互いに補い合い強め合うものなのだと考えられる。だからこそ、福澤は数理学と独立心の二つを強調したのだと思う。

 

このように、多事争論ができる人、すなわちあえて異端妄説を言える人に求められる素質として福澤が重視したのが、独立の気力と科学的精神であり、さらにそれが合わさった人が初めて持てる智勇(智に裏付けられた勇気)だった。それをひとりひとりが大事にし、まわりの人に対しても、たとえ自分より年下や経験の浅い人に対しても育くむような関係を作ることを重視していたのである。

 

学問に凝らず、綽々余裕と議論を楽しむ

 

それらを踏まえ、多事争論を楽しむための態度とはどんなものか、そして今日の事前課題でもあった「専門職は多事争論ができるのか」という問題を考えてみたい。福澤は明治23年の慶應義塾大学部の始業式において、学問は人生において大切なことではあるが、唯一無二のものとして他を顧みず、それがすべてと思って凝り固まってはいけないということを述べている。ようやく作った大学部の最初の挨拶でこういう強いメッセージを伝えているという点に注目したい。それ以前、明治19年にも時事新報において、慶應義塾の教育は真理原則を重んじる科学的精神を元にした学問だが、これをあえて軽蔑する、あるいはあえて手軽にみなすことで、どんな俗世界の些末なことにも学問の成果を入れることができるということも述べている。

 

h6at0844.jpg

 

 

これをもう少し分かりやすく説明した文章が丸山真男の『福澤諭吉の哲学』の中にある。ここで丸山は、福澤が「一心一向に凝り固まる」という意味で「惑溺」という言葉を使って、心に余裕のない状態を嫌ったと書いている。精神が全部凝集して他が見えなくなってしまう状態は、自分の思考が独立していない証拠だという。一般に専門家は、熱心になればなるほど視野が狭くなりがちだ。するとどうしても精神の自由さがなくなり、世の中のことだけではなく自分の先入観にも束縛されてしまう。そうならないためには、福澤はあえて「学問に凝るな」「学問を軽く見る」と言っていたのだろう。あえて軽く見ることで、幅広い視点から客観的に分析することもできるし、自分の先入観も含めて、もっと自由に柔軟に考えることができるのだと思う。

 

異なる専門の人と議論を楽しめる関係性

 

もうひとつ福澤が強調していたのは、人間関係の問題だ。固定された閉鎖的な人間関係は自然と、この惑溺、凝り固まるという方向に向いてしまう。今の言葉でいえば閉鎖的で自己完結的、自己目的化したような集団になってしまう。そこでは権威と称するものを生み出し、みんながそこに吸い寄せられるような集団になりがちだ。そうではなく、もっと動的で解放的な人間関係が必要だということを述べている。

 

h6at0922.jpg

 

福澤は、明治25年の演説の中で「世の中の交際を恐ろしく綿密にし、議論を喧しくして、人の言うことには一度や二度では承服しないように捏ね繰り廻して、そうして進歩の先陣となって世の中をデングリ返す工夫をする」という表現を用い、議論を活発にして、世の中を変えるような工夫をすることを推奨し、自分もそれを死ぬまでやるのだと宣言している。議論をおもしろがるという感覚で、精神にゆとりを持ちながら、あえて自分の専門を絶対化せず軽く見なしながら、議論を楽しむ。それが、まさに福澤流の多事争論だったのではないだろうか。すなわち、専門家の集団の中での多事争論とは、敢えて自分の専門を軽く視て、異なる専門の人といかに議論を楽しめるか、そして、いかにそれが可能になるようなコミュニケーションがとれるかということにかかってくるのかもしれない。

 

<編集後記>

 

文明塾で「対話と議論」の経験を重ねている塾生たちも、あえて空気を読まずに異論を発することの難しさを日々実感しているだろう。福澤の言動に立ち返り、多事争論の意義と重要性を改めて知ることは。「対話と議論」を有意義に進めるための勇気と示唆を与えてくれたと思う。

▲ページTOP

次回予告

  • 第17期コア・プログラム
    ベーシック・ナレッジ
    「活字全盛時代の今、手書きの書が持つ意味とは」

    田坂州代
    (書家)

  • 第17期コア・プログラム
    ストラテジック・リーダーシップ
    「トランスフォーメーション リーダーシップ」

    平手晴彦
    (武田薬品工業株式会社 コーポレート・オフィサー)

アーカイブ

慶應義塾トップ | 当サイトのご利用・個人情報について

Copyright © Keio University. All rights reserved.