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福沢文明塾 コア・プログラム講義録

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第14期コア・プログラム
ベーシック・ナレッジ
「スポーツと意識・無意識」

講師:為末大
(元陸上競技選手)
ライター:永井祐子
セッション開催日:2015年11月12日

 

3度の五輪出場、世界選手権のトラック競技で日本人初のメダリストになるなど、陸上選手として輝かしい実績を持つ為末さん。20年という長い競技人生において自らと向き合う中で、「自分を支配しているものは何か」という疑問を抱くようになったという。実体験に基づく数々のエピソードから、人間の意識・無意識はパフォーマンスにどのような影響を与えるのかを考える。
自分の心をコントロールする術を知りたい
為末さんが心の世界に興味を持つようになったのは、2009年シドニー五輪に初出場したときの「事件」がきっかけだった。憬れの晴れ舞台。7万人の観衆の前で高揚感と緊張感に包まれる中、「いつもと違ってふわふわしている」という自分を感じた。スタート後、1台目のハードルを越える瞬間に何か違和感を覚えたが、何が違うのかは分からない。「それを2台目、3台目と繰り返すうちに、だんだん自分がどうやって走っているのか、ハードルと自分との距離の関係がどうなっているのかよく分からなくなって、最後に気がついたときには足がハードルにぶつかって転倒していました」。結果は予選敗退。傷心のまま何もできない状態が1カ月ほど続いた。
自分で自分が分からなくなる状態での失敗体験。それ以後、自分を支配しているのは何者なのかということを考えるようになった。「それが分からないままでは、今後の人生でまた同じことが起きるかもしれない。そうならないために、このつかみがたい意識や自分の心を、どうすればコントロールしていけるのかを知りたいと考えたのです」。
その答えを模索する中、ある本で見かけた話を読み衝撃を受けた。それは、「自分の指を動かそうと<意識した>瞬間よりも早く、そこを動かすための脳からの指令が出ている」という、アメリカのベンジャミン・リベットという生物学者の実験結果だ。すなわり、私たちは自分の体を自分の意思で動かしていると思っているけれども、実はそれよりも先に無意識に動いていて、動かそうという<意識>はその現象を説明しているにすぎないのではないかということだ。
「スポーツの世界でも、気がついたら打っていた、走っていたなどと言う人がいます。もしかしたら、自分たちの体は自分で制御していると思うこと自体が幻なのかもしれない。自分が考えている世界というのは、実はいろいろと起きていることの後付けなのではないかと考えるようになりました」。
無意識が自分の限界を定義する?
無意識が人間の動きを制御しているという考え方に関連して、スポーツの世界におけるふたつの例を紹介した。
ひとつ目は、「人類は絶対に4分の壁を超えることができない」と言われ続けた1500mの記録の話だ。ついに1959年、30年ぶりにこの記録が破られた。すると、その直後にこれを上回る記録が続出し、結果的にその後1年間に23人もの選手が4分を切るという現象が起きたのである。
また、たとえばジャマイカの選手が短距離の世界記録を打ち立てたとき、それに釣られてアメリカの黒人選手のタイムが上がるということはあっても、アジアの選手にはほとんど影響がないことを示すデータがあるという。「人間には<私たち>というくくりが無意識に作られていて、そのくくりの外で起きた限界値の変化には影響を受けないということかもしれません」。
これらの例から考えられるのは、アスリートのパフォーマンスも思い込みによって左右されているのではないかということだ。「僕らの競技は多少のテクニックはあるにしても、ほとんどは体力の限界まで走るというだけなので、この辺が限界なのだと思うことで実際に限界をつくってしまうのかもしれません」。
突破しようという意識はあるのに、自分の意識が及ばない部分が自分の限界を定義していて、それによって私たちはとらわれているのではないか。そんな感覚を持つようになったという。では、その限界を自分に定義しているものは何なのだろうか。
無意識が制御し、調和したときゾーンに入る
そもそも、アスリートはどのようにして自らのパフォーマンスを高めていくのか。最初は気をつけるべきポイントを意識しながら反復練習を重ねる。その技術を習得すると、それが無意識にできるようになってくる。たとえば、自転車の練習をするときに、最初はハンドルでバランスを取り、ペダルをこいでということを考えながら練習するが、乗れるようになると何も考えなくても自然に前に進めるようになる。「スポーツはこの段階になって初めて応用という領域に入ってきます。私の場合なら、ハードルを越えるということを考えずにできるようになってレースに出る。すると、隣の選手の足音が気になるなど、ひとりの練習では気づかなかった点に気づく。それに適応できるようにするために、さらに反復練習を重ねるというように、反復と応用の間を行ったり来たりするのです」。
この過程には、無意識にできるようになっていたことを改めて考え始めることによって、スランプに陥ってしまうという危険が潜んでいる。「ハイレベルな選手のハイパフォーマンスは非常に微妙なバランスの上で成り立っているので、どこかが崩れると、元々どうしていたのかが分からなくなるというパターンがあるのです。何を変えていいのか、何は変えてはいけないのか。そこをまちがえて引退にまで追い込まれるケースも多く、これはとてもむずかしい領域です」。
アスリートが最高のパフォーマンスを発揮できることを、「ゾーンに入る」という言い方をする。為末さんはその経験を、「非常に自然で、自分自身が外を眺めている意識が薄いという感覚だった」と、表現する。「少し意識はしているけれども無意識が制御していて、それを自分が邪魔することなくちょうどいい調和が取れているという状態のときに、もっともいいパフォーマンスが生まれるような気がします」。
<質疑応答>
思考したことを実践してみるのが楽しい
【塾生】
為末さんはいろいろなことをたくさん考え、かつ結果も出されていますが、思考と実践の関係性をどう考えていらっしゃいますか?
【為末さん】
僕は物事を考えるのがすごく好きなのですが、一方で本当にそうなのかというところにもものすごく興味があります。陸上の世界は、考えたことを自分で走ってみることで試せるので、いわば実験と試行が繰り返せる状況でした。それを自分の思う通りに直接試してみたかったので、大学時代以後はコーチをつけず、ひとりで競技を続けてきました。もちろんコーチをつけることにはそれなりのメリットがあることも分かっていましたが、自分の考えを試してみるというプロセスを誰かと相談しながらやるのはむずかしいので、その道を選びました。
意図的にゾーンに入ることはできるか?
【塾生】
ゾーンに入るときというのは何か前触れや前兆があるものですか。また、それを再現するために何かすることがありますか。
【為末さん】
陸上選手の場合には視野が狭くなる、まわりの声が聞こえなくなるという感じはあります。何をやるべきかがよく分かって、とにかくこのハードルを越えて、越えて、越えるのだということだけが頭を占めるようになる。そうしようというのではなく、勝手にそうなっているという状態でレースに入ったときは、気がついたら最後の直線に来ていたということがありました。
それをどう再現できるか、いろいろ考えたり試したりしましたが、たとえば布団に入って寝る準備まではできても、実際に眠りにつくことを意図的にできないのと同じで、なんとなくこういう気分になって、こういう表情をして、こういう風に考えてと準備はできても、実際にその日にゾーンに入れるかどうかはよく分からない。それを体得できる人もいるのかもしれませんが、僕はそういう感じでした。
「選ぶ人生」という考え方
【塾生】
著書の中で書かれていた「選ぶ人生」という考え方に感銘を受けました。どうしたらそのように考えられるのでしょうか。
【為末さん】
人間というのは、どこか「こんな自分に誰がした」と他人のせいにしてしまう視点があると思うんです。僕自身も「あのときあんな突風が吹かなければ」などと感じることはあります。でも、「自分の身に降りかかってきたことだから仕方ない」と割り切らないとやるせない。そう思うようなことが競技人生にはたくさんありました。どこかで自分の納得感を持つためには、たとえば、「引退すると言うことだってできたのに、それでも今こうやってグラウンドにいるのは、朝自分で行くと決めたからだ」と自分自身に言うわけです。一種の暗示かもしれませんが、そうやって、放り出せるのに放り出さないでいる、放り出せないのではなく、あえて放り出さないでいるのだと考えることが、僕にとっての守りの戦法だったのかもしれません。だから、何かを積極的に選ぶというわけでもないのですが、少なくとも辞めないということは「自分でそれを選んだのだ」と自分自身に認識させるということです。
抽象的な感覚を持って本番に臨む
【塾生】
大事なレースで勝てたときというのは、意識と無意識、どちらで勝てたのだと思いますか?
【為末さん】
練習のときには意識して、本番では意識しないというのが良いパフォーマンスなのだと思います。つまり、練習のときはポイントを押さえて直すべき所を意識しながらやっていて、本番のときにはなるべくそれを消して走る。とはいってもすべて消し去ることはむずかしいので、そういうときはなるべく抽象的な感覚だけを持つように意識していました。「滑るように走ろう」「突き破るように跳ぼう」という感じです。どうも人間の動きは具体的に意識するほど滞りやすくなるようです。本来は内部の条件に合わせていくのが自然の動きであって、体の方に意識を寄せると不自然になる。だから、個別の行動に関してはほとんど意識しないという感じがよいのだと思います。
反対に、シドニー五輪のときは、あまりにも具体的な戦法戦術を考えすぎたために、それが崩れた瞬間に手も足も出なくなってしまいました。似たような体験で、スピーチに向けて完全な原稿を用意していたら、本番で原稿が1枚抜けていたことでパニックに陥ってしまったことがありました。でもキーワードだけを書き留めて臨んでいるときには、そういうことは起こりません。つまり、何かを個別に具体的にしようとすればするほど、それを失ったときにコントロールができなくなってしまう。そういう意味で、抽象的に押さえておくということは重要なんじゃないかと思います。
目的を定め、距離感を設定する
【塾生】
引退後はビジネスの世界で活躍されていますが、アスリートでもビジネスマンでも、一流の人に共通する点はあると思いますか?
【為末さん】
私が付き合いのあるビジネスマンはベンチャー系の人が多いのですが、アスリートに共通する部分があると感じました。「目的とは何か」ということと、それをいつまでにどのぐらいやるのかという「目的に対する距離感」。このふたつの設定をきちんとする人は、アスリートでもビジネスマンでもパフォーマンスが高いという印象を持っています。
「心の体力」をペース配分する
【塾生】
自分はがんばらないでどれだけ良いパフォーマンスを上げられるかが大事だと思っていて、意識してがんばらないように気をつけています。それを人にうまく伝えるには、どんな風に説明するのがよいと思いますか。
【為末さん】
僕は「心には体力がある」という言い方をしています。無駄遣いするとなくなっていくから、ペース配分をしなくてはいけない。同じ6時間がんばったとしても、夢中で楽しかった6時間とがんばった6時間とでは疲労度が違う、つまり心の体力の消費が違うと思います。そこをうまく配分していくように意識していくのは大事だと思います。トップアスリートというと、意思が強くてありあまるほどのモチベーションがあると思われがちですが、一流のアスリートにインタビューすると、多くの人がここはがんばらないというルールを決めるなど、モチベーションの配分をしているようです。そういう、心には体力があってペース配分が必要だということ、主観的な入り込み方でその消費量は違うのだという考え方は、一般社会にもあっていいのではないかと思います。
<編集後記>
自分の置かれた状況を冷静に見つめ、分析し、思考を重ねて突き詰めていくという競技への向き合い方は、いわゆる「体育会系」とは真逆のイメージだ。数々の経験に裏打ちされた言葉は、単に勝ち負けや記録を競うだけではない、人生のすべてに通じる示唆に富んでいると感じられた。

3度の五輪出場、世界選手権のトラック競技で日本人初のメダリストになるなど、陸上選手として輝かしい実績を持つ為末さん。20年という長い競技人生において自らと向き合う中で、「自分を支配しているものは何か」という疑問を抱くようになったという。実体験に基づく数々のエピソードから、人間の意識・無意識はパフォーマンスにどのような影響を与えるのかを考える。

 

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自分の心をコントロールする術を知りたい

 

為末さんが心の世界に興味を持つようになったのは、2009年シドニー五輪に初出場したときの「事件」がきっかけだった。憬れの晴れ舞台。7万人の観衆の前で高揚感と緊張感に包まれる中、「いつもと違ってふわふわしている」という自分を感じた。スタート後、1台目のハードルを越える瞬間に何か違和感を覚えたが、何が違うのかは分からない。「それを2台目、3台目と繰り返すうちに、だんだん自分がどうやって走っているのか、ハードルと自分との距離の関係がどうなっているのかよく分からなくなって、最後に気がついたときには足がハードルにぶつかって転倒していました」。結果は予選敗退。傷心のまま何もできない状態が1カ月ほど続いた。

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自分で自分が分からなくなる状態での失敗体験。それ以後、自分を支配しているのは何者なのかということを考えるようになった。「それが分からないままでは、今後の人生でまた同じことが起きるかもしれない。そうならないために、このつかみがたい意識や自分の心を、どうすればコントロールしていけるのかを知りたいと考えたのです」。

 

その答えを模索する中、ある本で見かけた話を読み衝撃を受けた。それは、「自分の指を動かそうと<意識した>瞬間よりも早く、そこを動かすための脳からの指令が出ている」という、アメリカのベンジャミン・リベットという生物学者の実験結果だ。すなわり、私たちは自分の体を自分の意思で動かしていると思っているけれども、実はそれよりも先に無意識に動いていて、動かそうという<意識>はその現象を説明しているにすぎないのではないかということだ。

 

「スポーツの世界でも、気がついたら打っていた、走っていたなどと言う人がいます。もしかしたら、自分たちの体は自分で制御していると思うこと自体が幻なのかもしれない。自分が考えている世界というのは、実はいろいろと起きていることの後付けなのではないかと考えるようになりました」。

 

 

無意識が自分の限界を定義する?

 

 

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無意識が人間の動きを制御しているという考え方に関連して、スポーツの世界におけるふたつの例を紹介した。

 

 

ひとつ目は、「人類は絶対に4分の壁を超えることができない」と言われ続けた1500mの記録の話だ。ついに1959年、30年ぶりにこの記録が破られた。すると、その直後にこれを上回る記録が続出し、結果的にその後1年間に23人もの選手が4分を切るという現象が起きたのである。

 

また、たとえばジャマイカの選手が短距離の世界記録を打ち立てたとき、それに釣られてアメリカの黒人選手のタイムが上がるということはあっても、アジアの選手にはほとんど影響がないことを示すデータがあるという。「人間には<私たち>というくくりが無意識に作られていて、そのくくりの外で起きた限界値の変化には影響を受けないということかもしれません」。

 

これらの例から考えられるのは、アスリートのパフォーマンスも思い込みによって左右されているのではないかということだ。「僕らの競技は多少のテクニックはあるにしても、ほとんどは体力の限界まで走るというだけなので、この辺が限界なのだと思うことで実際に限界をつくってしまうのかもしれません」。

 

突破しようという意識はあるのに、自分の意識が及ばない部分が自分の限界を定義していて、それによって私たちはとらわれているのではないか。そんな感覚を持つようになったという。では、その限界を自分に定義しているものは何なのだろうか。

 

 

無意識が制御し、調和したときゾーンに入る

 

そもそも、アスリートはどのようにして自らのパフォーマンスを高めていくのか。最初は気をつけるべきポイントを意識しながら反復練習を重ねる。その技術を習得すると、それが無意識にできるようになってくる。たとえば、自転車の練習をするときに、最初はハンドルでバランスを取り、ペダルをこいでということを考えながら練習するが、乗れるようになると何も考えなくても自然に前に進めるようになる。「スポーツはこの段階になって初めて応用という領域に入ってきます。私の場合なら、ハードルを越えるということを考えずにできるようになってレースに出る。すると、隣の選手の足音が気になるなど、ひとりの練習では気づかなかった点に気づく。それに適応できるようにするために、さらに反復練習を重ねるというように、反復と応用の間を行ったり来たりするのです」。

 

 

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この過程には、無意識にできるようになっていたことを改めて考え始めることによって、スランプに陥ってしまうという危険が潜んでいる。「ハイレベルな選手のハイパフォーマンスは非常に微妙なバランスの上で成り立っているので、どこかが崩れると、元々どうしていたのかが分からなくなるというパターンがあるのです。何を変えていいのか、何は変えてはいけないのか。そこをまちがえて引退にまで追い込まれるケースも多く、これはとてもむずかしい領域です」。

 

アスリートが最高のパフォーマンスを発揮できることを、「ゾーンに入る」という言い方をする。為末さんはその経験を、「非常に自然で、自分自身が外を眺めている意識が薄いという感覚だった」と、表現する。「少し意識はしているけれども無意識が制御していて、それを自分が邪魔することなくちょうどいい調和が取れているという状態のときに、もっともいいパフォーマンスが生まれるような気がします」。

 

<質疑応答>

思考したことを実践してみるのが楽しい

 

【塾生】

為末さんはいろいろなことをたくさん考え、かつ結果も出されていますが、思考と実践の関係性をどう考えていらっしゃいますか?

 

【為末さん】

 

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僕は物事を考えるのがすごく好きなのですが、一方で本当にそうなのかというところにもものすごく興味があります。陸上の世界は、考えたことを自分で走ってみることで試せるので、いわば実験と試行が繰り返せる状況でした。それを自分の思う通りに直接試してみたかったので、大学時代以後はコーチをつけず、ひとりで競技を続けてきました。もちろんコーチをつけることにはそれなりのメリットがあることも分かっていましたが、自分の考えを試してみるというプロセスを誰かと相談しながらやるのはむずかしいので、その道を選びました。

 

 

意図的にゾーンに入ることはできるか?

 

【塾生】

ゾーンに入るときというのは何か前触れや前兆があるものですか。また、それを再現するために何かすることがありますか。

 

【為末さん】

陸上選手の場合には視野が狭くなる、まわりの声が聞こえなくなるという感じはあります。何をやるべきかがよく分かって、とにかくこのハードルを越えて、越えて、越えるのだということだけが頭を占めるようになる。そうしようというのではなく、勝手にそうなっているという状態でレースに入ったときは、気がついたら最後の直線に来ていたということがありました。

 

それをどう再現できるか、いろいろ考えたり試したりしましたが、たとえば布団に入って寝る準備まではできても、実際に眠りにつくことを意図的にできないのと同じで、なんとなくこういう気分になって、こういう表情をして、こういう風に考えてと準備はできても、実際にその日にゾーンに入れるかどうかはよく分からない。それを体得できる人もいるのかもしれませんが、僕はそういう感じでした。

 

「選ぶ人生」という考え方

 

【塾生】

 

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著書の中で書かれていた「選ぶ人生」という考え方に感銘を受けました。どうしたらそのように考えられるのでしょうか。

 

 

【為末さん】

人間というのは、どこか「こんな自分に誰がした」と他人のせいにしてしまう視点があると思うんです。僕自身も「あのときあんな突風が吹かなければ」などと感じることはあります。でも、「自分の身に降りかかってきたことだから仕方ない」と割り切らないとやるせない。そう思うようなことが競技人生にはたくさんありました。どこかで自分の納得感を持つためには、たとえば、「引退すると言うことだってできたのに、それでも今こうやってグラウンドにいるのは、朝自分で行くと決めたからだ」と自分自身に言うわけです。一種の暗示かもしれませんが、そうやって、放り出せるのに放り出さないでいる、放り出せないのではなく、あえて放り出さないでいるのだと考えることが、僕にとっての守りの戦法だったのかもしれません。だから、何かを積極的に選ぶというわけでもないのですが、少なくとも辞めないということは「自分でそれを選んだのだ」と自分自身に認識させるということです。

 

抽象的な感覚を持って本番に臨む

 

【塾生】

大事なレースで勝てたときというのは、意識と無意識、どちらで勝てたのだと思いますか?

 

【為末さん】

練習のときには意識して、本番では意識しないというのが良いパフォーマンスなのだと思います。つまり、練習のときはポイントを押さえて直すべき所を意識しながらやっていて、本番のときにはなるべくそれを消して走る。とはいってもすべて消し去ることはむずかしいので、そういうときはなるべく抽象的な感覚だけを持つように意識していました。「滑るように走ろう」「突き破るように跳ぼう」という感じです。どうも人間の動きは具体的に意識するほど滞りやすくなるようです。本来は内部の条件に合わせていくのが自然の動きであって、体の方に意識を寄せると不自然になる。だから、個別の行動に関してはほとんど意識しないという感じがよいのだと思います。

 

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反対に、シドニー五輪のときは、あまりにも具体的な戦法戦術を考えすぎたために、それが崩れた瞬間に手も足も出なくなってしまいました。似たような体験で、スピーチに向けて完全な原稿を用意していたら、本番で原稿が1枚抜けていたことでパニックに陥ってしまったことがありました。でもキーワードだけを書き留めて臨んでいるときには、そういうことは起こりません。つまり、何かを個別に具体的にしようとすればするほど、それを失ったときにコントロールができなくなってしまう。そういう意味で、抽象的に押さえておくということは重要なんじゃないかと思います。

 

目的を定め、距離感を設定する

 

【塾生】

 

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引退後はビジネスの世界で活躍されていますが、アスリートでもビジネスマンでも、一流の人に共通する点はあると思いますか?

 

 

【為末さん】

私が付き合いのあるビジネスマンはベンチャー系の人が多いのですが、アスリートに共通する部分があると感じました。「目的とは何か」ということと、それをいつまでにどのぐらいやるのかという「目的に対する距離感」。このふたつの設定をきちんとする人は、アスリートでもビジネスマンでもパフォーマンスが高いという印象を持っています。

 

「心の体力」をペース配分する

 

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【塾生】

 

自分はがんばらないでどれだけ良いパフォーマンスを上げられるかが大事だと思っていて、意識してがんばらないように気をつけています。それを人にうまく伝えるには、どんな風に説明するのがよいと思いますか。

 

【為末さん】

僕は「心には体力がある」という言い方をしています。無駄遣いするとなくなっていくから、ペース配分をしなくてはいけない。同じ6時間がんばったとしても、夢中で楽しかった6時間とがんばった6時間とでは疲労度が違う、つまり心の体力の消費が違うと思います。そこをうまく配分していくように意識していくのは大事だと思います。トップアスリートというと、意思が強くてありあまるほどのモチベーションがあると思われがちですが、一流のアスリートにインタビューすると、多くの人がここはがんばらないというルールを決めるなど、モチベーションの配分をしているようです。そういう、心には体力があってペース配分が必要だということ、主観的な入り込み方でその消費量は違うのだという考え方は、一般社会にもあっていいのではないかと思います。

 

<編集後記>

自分の置かれた状況を冷静に見つめ、分析し、思考を重ねて突き詰めていくという競技への向き合い方は、いわゆる「体育会系」とは真逆のイメージだ。数々の経験に裏打ちされた言葉は、単に勝ち負けや記録を競うだけではない、人生のすべてに通じる示唆に富んでいると感じられた。

 

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