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第13期コア・プログラム
ベーシック・ナレッジ
「演劇的手法で他者の視点を体験する」

講師:石野 由香里
( 俳優/早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター助教 )
インタビュアー:前野隆司(福澤文明塾 プログラム・コーディネーター、慶應義塾大学 大学院システムデザインマネジメント研究科委員長)
ライター:永井祐子
セッション開催日:2015年6月13日

 

多くの人にとって、演劇とは鑑賞するものであり、あるいは鑑賞されることを前提として演じられるものである。しかし、石野さんが実践しているのは、ある目的のための手法として演劇を用いるという取り組みだ。この日は、実際に自分が演じてみるという体験を交えながら、他者の視点を得るという目的で演じる意義を実感するワークショップが行われた。
記憶を再現して演じることで、出来事を客観的に捉える
この日石野さんから教わるのは、応用演劇というジャンルだ。英語ではapplied theater と呼ばれ、演劇を手法として用いることで、普段自分が見過ごしてしまっていることから新しい発見をし、クリエイティブ、イノベイティブなものを見出していこうというものだ。
応用演劇にはいくつかの例があるが、たとえばアフリカや南米では、開発のための演劇が行われているという。スマートに理論を述べることができない民衆から意見を吸い上げるために、演劇を利用するのだ。演劇なら文字の読めない人でも自分の意見を主張できるだろうという狙いがあったが、実際にやってみると、「AがBであるからCとなる」というように文字で理論的にシミュレーションするよりも、演劇的に実際に体を動かしながら組み立てていく方が、はるかに実践的な効果が得られるのだという。
これらの演劇的手法の中にサイコドラマという分野がある。たとえば幼い頃に母親に言われた言葉がトラウマになっている人がいた場合、カウンセリングでそれを引き出そうとするのではなく、その場を再現しながら、もう一度自分に起こったことを追体験してもらうという手法だ。トラウマになっていることは、ときとして自分の妄想の中で肥大化している可能性もある。しかし、もう一度再現してみることによって、それが現実とは少し違っていたかもしれないと気付く。さらに、たとえばその言葉を投げかけた母親の役を自らが演じることによって、母親から見た自分がどういう見え方をしていたのかを感じることができる。すなわち、視点をさまざまなところに動かすことによって、そのできごとを客観的に捉えられるようになるのだ。このように認識を再構成することが、結果的にセラピーにつながるというのである。
他者の視点に立って、自分とは異なる景色を眺めてみる
この日、実際にこの演劇的手法を用いたワークショップを体験するにあたって、石野さんが提示したポイントは3点だ。
まずは、他者の視点。「相手の立場に立つ」とはよく使われる言葉だが、普通それは頭で考えているだけで、実際に自分がそこに立っているわけではない。このワークでは、想像するだけではなく実際にそれを行動してみる。
「私自身が俳優として演技をする中で、いくら台本を読み込んで、議論をしたり、専門家に話を聞いたりして役の人物の心情を想像したとしても、実際に演じながらその人の人生そのままに涙を流したり笑ったりということを繰り返すと、その視点は質的にまったく異なったものになるということに気がついたのです」。
演技というアクションを通して他者の視点に立つことによって、自分から見た延長線上の目線や角度から見るのとはまったく異なる方向からの景色が見えてくる。このワークを通じて、そこにどうジャンプできるかがひとつのチャレンジとなる。
「そもそも、自分の発想の延長線上で考えていることは、たかが知れています。他者を演じていると、普段の自分とは違う思考パターンや表情、行動が突発的に促されることもあります。そして、そこで得られる世界の見え方は、自分の延長では気づけないものを見られる機会にもなるのです。それはある意味クリエイティブやイノベイティブな発想にもつながっていくのだと思います。俳優でもない人が演技をすることの意味は、そういうところにもあると考えています」。
ふたつ目のポイントは、文字を読んだり音楽を聴いたりするときに自分がイメージするもの、その発想には実は無限の可能性があるのだと知ることだ。「ひとつの材料からも限りなく多くの発想が生まれうるということは、頭では分かっていると思いますけど、それを実際に自分で感じてみてください」。
三つ目のポイントは状況のメタ認知だ。演劇的手法には、役を演じることでその人物に感情移入するという内側からの側面と同時に、外側からそのできごとを客観視するという面も併せ持つ。「あるシーンをつくるときには、この人とこの人がどういう関係なのかというようなことを、あちら側とこちら側、そしてその間の位置、あるいは上から眺めているような視点などあらゆる角度から検討します。そうやってさまざまな角度、あるいはいくつかの時間軸からの視点で状況を再構成することで、そのできごとをメタ認知するという作用があります」。
実体験を細かく再現することで得られるものは
こうした演技的手法についての説明を一通り聞いたところで、会場の椅子を片付けて広い空間をつくり、塾生全員でいくつかのワークに取り組んだ。
「目の前の人間を使って彫刻を作る」、「5人一組になって与えられたテーマを表現する1シーンを作る」などのワークを経て、最後に挑戦したのは「5人のグループで、あるひとりの実体験を数分の寸劇として演じる」という試みだ。
メンバーの中からひとりを選び、その人は自らの経験を画家が写実的にデッサンをする如く詳細にメンバーに伝え、全員でそれをできるだけそのままに再現することを目指す。「それはどれぐらいの空間がある場所なのか、季節はいつなのか、どんな音が聞こえるのかなど、状況に関するディテールをよく思い出してメンバーに伝えてください。そして、登場人物については、その人がどんな人だったのかということだけでなく、その人たちの距離がどのぐらいで、どんな会話を交わしていて、それぞれがどんな表情だったのか。そういう<居方>を再現することで、その人物同士で起きていることを発見していきます」。
テーマをもらって演じる他のメンバーは、「私はこうしたらいいと思う」などと主張したり議論したりするのではなく、その人の記憶を感じ、それを受け取ることに集中する。「世の中には発信上手な人と受け取るのが上手な人がいます。私から見ると、皆さんは発信したり説明したりは得意のように見えるので、ここではサイレントに受け取るということを意識してみてください」。
塾生たちが演技にトライしている様子を見ながら、石野さんから「今食べているのはどのぐらいの厚さのステーキ?」「そこでは、どんな音が聞こえている?」など問いかけられる。プロの俳優は、ときに非常に細かい状況までをも想像することが要求されるという。「視覚優位の人、聴覚優位の人など、人によって優位の感覚は異なっていて、普段の生活ではそれ以外の感覚はおろそかになっているものです。演技をしながらあらゆることに想像力を働かせるというのは、普段あまり使っていない感覚も掘り起こしていく効果もあります」。
演じるという行為に取り組む中では、いざその役になってみると自分が思ってもいなかった行動に出てしまったり、言葉で表現できないのに体が先に動いてしまったりするなど、意識が体に表れるという体験が得られる場合もあるそうだ。
こうしたワークをある企業研修で実践したときには、「これまで自分が受け取ったメールの文章について、100ある可能性のうちのほんの1つしかないと決めつけてしまうことで、いかに仕事の幅を狭めていたかに気付いた」という感想が聞かれたという。「言葉ひとつにしても、その発言の文脈やその裏にある感情は、実はその場で自分が感じたもの以外にもいろいろな可能性があるのだということに気づけるのも、演じることの効用です」。
<質疑応答>
【塾生】
今日体験した演劇的手法という学びは、どのように実生活に生かせるものでしょうか? 
【石野さん】
どのようにという問いには答えはないと思います。私はこのワークをある大学で授業として行っていますが、履修生として15回体験した学生50人のうち7、8割が、なにかしらの変化があったと答えています。奇異に見える人の行動を追随する試みをした結果、その人のしていたことを少し理解できたという学生もいました。その学生は、小さなことにすぐ苛ついたり切れたりすることが多かったのが、そういう場面で相手にも事情があるのかもしれないと想像することができるようになり、日常でイラっとすることが減ったそうです。外から見ても変わったなと感じられるようになりました。
【塾生】
石野さんが他者の視点を持つことに関心を持つようになった原体験というのがありますか?
【石野さん】
私が幼い頃両親が共働きで、祖母の家に預けられていました。ある日、迎えに来た母と祖母との間で、私のことでちょっとしたくい違いが起きたんです。両手を両方からひっぱっれて文字通り引き裂かれるような格好になりながら、「ふたりは本質的に敵対しているわけではないのに、どちらにも言い分があってわかり合えないのはどうしてだろう?」と感じたことを覚えています。今振り返れば、そのシーンが原体験になっているような気がします。
もうひとつは、高校生の頃に盲目の少女を演じたときの体験です。自分としてはかなりの時間をかけて、目が見えないという気持ちを理解しようと努めたつもりでした。あるシーンで、その少女が自分を捨てた親に対して感謝をしているというセリフがあったのですが、その役に感情移入していた私は、どうしても納得できないと主張しました。すると、演出家に「それは石野さんが許せないだけでしょ?」と言われて大きな衝撃を受けました。どんなに他人の気持ちになってやっているつもりでも、それは自分としての押しつけなのではないか。そのときの経験は、「自分の見方を逃れていないのでは」と自制し続ける私の原点になっていると思います。
今、大学で「社会貢献のためのクリエイティブな発想と実践」という授業を持っていますが、社会貢献したい、世界を変えたいという優秀な学生たちに、自分が良くしたいと思っている世界というのは、誰のためのどの目線から見た「良い世界」なのか。この人のためにと思っていることが、自分の思い込みかもしれないという視点を持てるよう、ワークを通して徹底的に学んでもらっています。
<クロージングメッセージ>
自分は俳優ではないから演技なんて関係ないと思うかもしれませんが、体験してもらって分かる通り、演じるということはまさに自分の人生をそのまま表現することができる行為です。今日は短い時間で乱暴なやり方ではありましたが、それでもその役を演じる中で、それぞれ思ったことや感じたことがあったと思います。
重要なことは、たとえフィクションであったとしても、一度やった行為というのは、自分の経験として記憶や行動様式に残っていくということです。場合によっては現実に起こったのと同じぐらいの強度で自分に影響を与えるのです。これはサイコドラマの研究でも証明されています。
演技的手法では、現実世界では試そうとも思わないことを体験することができます。そういう意味で、現実にかなり近い形でシミュレーションできるというのは、おそらく現時点ではこの演劇的手法以外ないのではないでしょうか。そして、その体験は自分のポテンシャルを刺激し、自分がここまでと思っていた自分の可能性を越えたものを発掘することにつながるかもしれません。
<編集後記>
座学に加え、実際に自分が演じるというワークを体験したセッション。自分とは異なるキャラクタを演じることに違和感を抱いたという声も聞かれたが、それも含めて、今までの自分にはない視点を獲得できる可能性を体感できたように思う。それが、今後何かで行き詰まったときに状況を打開するヒントとなるのかもしれない。

多くの人にとって、演劇とは鑑賞するものであり、あるいは鑑賞されることを前提として演じられるものである。しかし、石野さんが実践しているのは、ある目的のための手法として演劇を用いるという取り組みだ。この日は、実際に自分が演じてみるという体験を交えながら、他者の視点を得るという目的で演じる意義を実感するワークショップが行われた。

 

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記憶を再現して演じることで、出来事を客観的に捉える

 

この日石野さんから教わるのは、応用演劇というジャンルだ。英語ではapplied theater と呼ばれ、演劇を手法として用いることで、普段自分が見過ごしてしまっていることから新しい発見をし、クリエイティブ、イノベイティブなものを見出していこうというものだ。

ishino.2.jpgのサムネール画像

 

応用演劇にはいくつかの例があるが、たとえばアフリカや南米では、開発のための演劇が行われているという。スマートに理論を述べることができない民衆から意見を吸い上げるために、演劇を利用するのだ。演劇なら文字の読めない人でも自分の意見を主張できるだろうという狙いがあったが、実際にやってみると、「AがBであるからCとなる」というように文字で理論的にシミュレーションするよりも、演劇的に実際に体を動かしながら組み立てていく方が、はるかに実践的な効果が得られるのだという。

これらの演劇的手法の中にサイコドラマという分野がある。たとえば幼い頃に母親に言われた言葉がトラウマになっている人がいた場合、カウンセリングでそれを引き出そうとするのではなく、その場を再現しながら、もう一度自分に起こったことを追体験してもらうという手法だ。トラウマになっていることは、ときとして自分の妄想の中で肥大化している可能性もある。しかし、もう一度再現してみることによって、それが現実とは少し違っていたかもしれないと気付く。さらに、たとえばその言葉を投げかけた母親の役を自らが演じることによって、母親から見た自分がどういう見え方をしていたのかを感じることができる。すなわち、視点をさまざまなところに動かすことによって、そのできごとを客観的に捉えられるようになるのだ。このように認識を再構成することが、結果的にセラピーにつながるというのである。

 

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他者の視点に立って、自分とは異なる景色を眺めてみる

 

この日、実際にこの演劇的手法を用いたワークショップを体験するにあたって、石野さんが提示したポイントは3点だ。

まずは、他者の視点。「相手の立場に立つ」とはよく使われる言葉だが、普通それは頭で考えているだけで、実際に自分がそこに立っているわけではない。このワークでは、想像するだけではなく実際にそれを行動してみる。

「私自身が俳優として演技をする中で、いくら台本を読み込んで、議論をしたり、専門家に話を聞いたりして役の人物の心情を想像したとしても、実際に演じながらその人の人生そのままに涙を流したり笑ったりということを繰り返すと、その視点は質的にまったく異なったものになるということに気がついたのです」。

演技というアクションを通して他者の視点に立つことによって、自分から見た延長線上の目線や角度から見るのとはまったく異なる方向からの景色が見えてくる。このワークを通じて、そこにどうジャンプできるかがひとつのチャレンジとなる。

ishino.4.jpg「そもそも、自分の発想の延長線上で考えていることは、たかが知れています。他者を演じていると、普段の自分とは違う思考パターンや表情、行動が突発的に促されることもあります。そして、そこで得られる世界の見え方は、自分の延長では気づけないものを見られる機会にもなるのです。それはある意味クリエイティブやイノベイティブな発想にもつながっていくのだと思います。俳優でもない人が演技をすることの意味は、そういうところにもあると考えています」。

ふたつ目のポイントは、文字を読んだり音楽を聴いたりするときに自分がイメージするもの、その発想には実は無限の可能性があるのだと知ることだ。「ひとつの材料からも限りなく多くの発想が生まれうるということは、頭では分かっていると思いますけど、それを実際に自分で感じてみてください」。

三つ目のポイントは状況のメタ認知だ。演劇的手法には、役を演じることでその人物に感情移入するという内側からの側面と同時に、外側からそのできごとを客観視するという面も併せ持つ。「あるシーンをつくるときには、この人とこの人がどういう関係なのかというようなことを、あちら側とこちら側、そしてその間の位置、あるいは上から眺めているような視点などあらゆる角度から検討します。そうやってさまざまな角度、あるいはいくつかの時間軸からの視点で状況を再構成することで、そのできごとをメタ認知するという作用があります」。

 

実体験を細かく再現することで得られるものは

 

こうした演技的手法についての説明を一通り聞いたところで、会場の椅子を片付けて広い空間をつくり、塾生全員でいくつかのワークに取り組んだ。

「目の前の人間を使って彫刻を作る」、「5人一組になって与えられたテーマを表現する1シーンを作る」などのワークを経て、最後に挑戦したのは「5人のグループで、あるひとりの実体験を数分の寸劇として演じる」という試みだ。

 

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メンバーの中からひとりを選び、その人は自らの経験を画家が写実的にデッサンをする如く詳細にメンバーに伝え、全員でそれをできるだけそのままに再現することを目指す。「それはどれぐらいの空間がある場所なのか、季節はいつなのか、どんな音が聞こえるのかなど、状況に関するディテールをよく思い出してメンバーに伝えてください。そして、登場人物については、その人がどんな人だったのかということだけでなく、その人たちの距離がどのぐらいで、どんな会話を交わしていて、それぞれがどんな表情だったのか。そういう<居方>を再現することで、その人物同士で起きていることを発見していきます」。

テーマをもらって演じる他のメンバーは、「私はこうしたらいいと思う」などと主張したり議論したりするのではなく、その人の記憶を感じ、それを受け取ることに集中する。「世の中には発信上手な人と受け取るのが上手な人がいます。私から見ると、皆さんは発信したり説明したりは得意のように見えるので、ここではサイレントに受け取るということを意識してみてください」。

塾生たちが演技にトライしている様子を見ながら、石野さんから「今食べているのはどのぐらいの厚さのステーキ?」「そこでは、どんな音が聞こえている?」など問いかけられる。プロの俳優は、ときに非常に細かい状況までをも想像することが要求されるという。「視覚優位の人、聴覚優位の人など、人によって優位の感覚は異なっていて、普段の生活ではそれ以外の感覚はおろそかになっているものです。演技をしながらあらゆることに想像力を働かせるというのは、普段あまり使っていない感覚も掘り起こしていく効果もあります」。

演じるという行為に取り組む中では、いざその役になってみると自分が思ってもいなかった行動に出てしまったり、言葉で表現できないのに体が先に動いてしまったりするなど、意識が体に表れるという体験が得られる場合もあるそうだ。

こうしたワークをある企業研修で実践したときには、「これまで自分が受け取ったメールの文章について、100ある可能性のうちのほんの1つしかないと決めつけてしまうことで、いかに仕事の幅を狭めていたかに気付いた」という感想が聞かれたという。「言葉ひとつにしても、その発言の文脈やその裏にある感情は、実はその場で自分が感じたもの以外にもいろいろな可能性があるのだということに気づけるのも、演じることの効用です」。

 

 

<質疑応答>

 

【塾生】

今日体験した演劇的手法という学びは、どのように実生活に生かせるものでしょうか?

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【石野さん】

どのようにという問いには答えはないと思います。私はこのワークをある大学で授業として行っていますが、履修生として15回体験した学生50人のうち7、8割が、なにかしらの変化があったと答えています。奇異に見える人の行動を追随する試みをした結果、その人のしていたことを少し理解できたという学生もいました。その学生は、小さなことにすぐ苛ついたり切れたりすることが多かったのが、そういう場面で相手にも事情があるのかもしれないと想像することができるようになり、日常でイラっとすることが減ったそうです。外から見ても変わったなと感じられるようになりました。

 

【塾生】

石野さんが他者の視点を持つことに関心を持つようになった原体験というのがありますか?

【石野さん】

 

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私が幼い頃両親が共働きで、祖母の家に預けられていました。ある日、迎えに来た母と祖母との間で、私のことでちょっとしたくい違いが起きたんです。両手を両方からひっぱっれて文字通り引き裂かれるような格好になりながら、「ふたりは本質的に敵対しているわけではないのに、どちらにも言い分があってわかり合えないのはどうしてだろう?」と感じたことを覚えています。今振り返れば、そのシーンが原体験になっているような気がします。

 

 

もうひとつは、高校生の頃に盲目の少女を演じたときの体験です。自分としてはかなりの時間をかけて、目が見えないという気持ちを理解しようと努めたつもりでした。あるシーンで、その少女が自分を捨てた親に対して感謝をしているというセリフがあったのですが、その役に感情移入していた私は、どうしても納得できないと主張しました。すると、演出家に「それは石野さんが許せないだけでしょ?」と言われて大きな衝撃を受けました。どんなに他人の気持ちになってやっているつもりでも、それは自分としての押しつけなのではないか。そのときの経験は、「自分の見方を逃れていないのでは」と自制し続ける私の原点になっていると思います。

 

今、大学で「社会貢献のためのクリエイティブな発想と実践」という授業を持っていますが、社会貢献したい、世界を変えたいという優秀な学生たちに、自分が良くしたいと思っている世界というのは、誰のためのどの目線から見た「良い世界」なのか。この人のためにと思っていることが、自分の思い込みかもしれないという視点を持てるよう、ワークを通して徹底的に学んでもらっています。

 

 

<クロージングメッセージ>

 

自分は俳優ではないから演技なんて関係ないと思うかもしれませんが、体験してもらって分かる通り、演じるということはまさに自分の人生をそのまま表現することができる行為です。今日は短い時間で乱暴なやり方ではありましたが、それでもその役を演じる中で、それぞれ思ったことや感じたことがあったと思います。

 

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重要なことは、たとえフィクションであったとしても、一度やった行為というのは、自分の経験として記憶や行動様式に残っていくということです。場合によっては現実に起こったのと同じぐらいの強度で自分に影響を与えるのです。これはサイコドラマの研究でも証明されています。

 

演技的手法では、現実世界では試そうとも思わないことを体験することができます。そういう意味で、現実にかなり近い形でシミュレーションできるというのは、おそらく現時点ではこの演劇的手法以外ないのではないでしょうか。そして、その体験は自分のポテンシャルを刺激し、自分がここまでと思っていた自分の可能性を越えたものを発掘することにつながるかもしれません。

 

<編集後記>

 

座学に加え、実際に自分が演じるというワークを体験したセッション。自分とは異なるキャラクタを演じることに違和感を抱いたという声も聞かれたが、それも含めて、今までの自分にはない視点を獲得できる可能性を体感できたように思う。それが、今後何かで行き詰まったときに状況を打開するヒントとなるのかもしれない。

 

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