慶應義塾

福沢文明塾 コア・プログラム講義録

このサイトについて

ホーム > ベーシックナレッジ > 第11期 コア・プログラムベーシック・ナレッジ日本は幸福途上国なのか?

第11期 コア・プログラム
ベーシック・ナレッジ
日本は幸福途上国なのか?

講師:目崎 雅昭
国際文化アナリスト、幸福研究家、日本メガソーラー整備事業(株) 代表取締役 社長
インタビュアー:前野 隆司(慶應義塾大学大学院システム・マネジメント研究科 委員長)
ライター:永井 祐子
セッション開催日:2014年5月22日

複数の国際機関の調査において、日本人の幸福度はあまり高くないという結果が出ている。その理由は何なのか。米国証券会社の金融トレイダーという職を捨て、世界100カ国以上を10年近くかけて旅をした目崎さんを講師に迎え、どうすれば日本人は幸せになれるのかを考えるセッションが行われた。

 mesaki_1.jpg

社会環境による幸福度の違い


mesaki_2.jpg 幸福研究にはいくつかのアプローチがあるが、目崎さんが注目するのは、文化の比較と社会環境の影響だ。文化の構造改革や環境の重要性に注目して、幸福を考えていこうという考え方である。
 幸福度を知る方法として、たとえば幸福とは反対の概念である不幸の象徴という意味で、自殺者の数に着目してみる。人口10万人あたりの自殺者を世界各国で比べると、旧共産圏とアジアの国が上位を占めているというデータがある。出生率についても、一般的には発展途上国が高く先進国になるほど下がってくるが、下がってきた先進国の中でも、再び上昇に転じている国もあるのに対し、依然として低いままでいる国というのは、やはりアジアと旧共産圏に多く見られる傾向がある。
 こうした違いはどこから生まれるのであろうか。遺伝的な理由だという意見もある。しかし、たとえばドイツでは、旧東ドイツの人の幸福度は、旧西ドイツの人に比べると低く、経済格差が縮まりつつある現在でも、その差は変化していない。このことは、元々の民族や言語、文化が同じであっても、50年間違う社会体制で過ごしたことが、幸福度に大きな影響を与えていると考えられる。
 また、ラテンアメリカと旧共産主義圏の国は、ひとり当たりのGDPから見た経済的なレベルはほぼ同じであるにも関わらず、主観的な幸福度はラテンアメリカの方が2倍ほど高い。ラテンアメリカに現在住んでいる人たちは、半分以上がヨーロッパからの移民であり、民族的にも文化的にも両者に大きな違いはない。それでも社会体制の違いによって、これだけ明確な差が出てくるのだ。
 気候の影響はどうだろうか。温かい地方に住む人の方が幸せだと思われがちだが、実際は寒くて日も短い冬が長く続く北欧で、おしなべて幸福度が高い。とうことは気候も関係なさそうだ。さらに、人種や宗教などの分類で比べてみても、幸福度との相関関係は見られないのだという。

 

寬容度の高い国は幸福度が高い


mesaki_3.jpg 幸福度の測定法には、外面的と内面的の2つの方法がある。外面的というのは、平均寿命やひとり当たりのGDP、成人識字率、就学率などの基本データから見たもので、内面的というのは「あなたはどのぐらい幸せですか?」と主観的な感覚を尋ねるものだ。日本の場合、外面的な幸福度はとても高い。しかし、内面から見た幸福度では、さまざまな調査のいずれの結果においても、真ん中ぐらいになってしまう。
 日本人に対して行ったある調査によると、1958年以後2000年まで、ひとり当たりの実質GDPが上がり続けて6倍以上になっているにも関わらず、その間の生活満足度はほとんど上昇していない。逆に、1980年代後半から1990年代はじめのバブルの絶頂期と最近のデータを比べても、やはり生活満足度はほとんど変わっていない。バブルの頃、日本は世界でも2番目に格差が少なく、失業率も1~2%だった。それに比べて最近は、年金や格差の問題が深刻化していると言われるのにも関わらず、生活満足度には変わりがないということになる。「この結果を見ると、日本において経済的な背景というのは、幸福度とあまり関係がないと考えざるをえません」。
 では、日本人の幸福度は何に影響を受けているのだろうか? 目崎さんが注目するのは、自分をどのぐらい自由だと感じているか、すなわち主観的な自由度だ。世界各国での比較を見てみると、自由度や寬容度の高い国は幸福度が高い傾向があるのだという。
 世界の56カ国を対象にした、自由度を尋ねるアンケート調査によると、日本は最低レベルだ。政治や社会の制度などから見た外面的自由度はトップレベルなのに、主観的に自由だと感じている人は少ないという事実が見えてくる。
 社会の寬容度を測る一つの指標として、どの社会にも必ず一定数存在するマイノリティが、その社会でどのように扱われているかというデータに着目してみる。たとえば、同性婚が合法化されている国は幸福度が高いという、非常に明確な相関関係がある。「同性婚を合法化すればみんなが幸せになれるということではありません。同性愛者であることを許容できる社会であるということは、すなわち、自分が何をやりたいかを表明することで、それが最大限寬容に受容される社会であり、そうした国では幸福度が高いということです」。
 すなわち、日本では自由度や寬容度の低さが幸福度の伸び悩みにつながっているのではないかというのが目崎さんの分析だ。

 

集団主義から個が自由になる流れへ


mesaki_5.jpg 日本において自由度や寬容度が低いのは、集団主義としての構造的な問題であるという。「集団主義とは『みんな同じ』ということですが、幸せとは主観的に感じるものであり、人それぞれです。つまり、集団主義である限りは一人ひとりの幸せは実現できない方向に進んでしまうという構造的な問題があるのです」。
 たとえば、休みを取りたいと思っている日本人はたくさんいるのに、有給休暇の消化率は世界的に見ても低い水準に留まっている。その理由は「他の人が取らないから」というケースが多い。「みんながやりたいと思っていることなのに、他のみんながやっていないからやらないというのは明らかにおかしいですよね。みんながおかしいと思いながらも、そのままおかしい方向に進んでしまう。戦争に突入してしまうような状況は、そういった危険性の象徴的なものかもしれません」。
mesaki_4.jpg そもそも人類は集団主義から始まっているのであり、集団主義そのものが良いとか悪いということではなく、個人の追求と集団との関係性が問題なのだという。「個人も集団もどちらも必要な中で、どこで折り合いを付けるのか。少なくとも歴史的必然という流れの中で考えれば、個がより自由な方向に向かっていくのだと私は考えています」。
 歴史を振り返ってみれば、国の決定権を王が一人で握っていた時代から、国民一人ひとりの意思の決定を重んじる民主主義が生まれたというのは、まさに個が大きくなった流れといえる。現代におけるインターネットの世界でも、オープンソースなどどんどん個への流れが起きている。そして、この個への流れというのは、逆方向に戻ることはないと目崎さんは考えている。
mesaki_6.jpg 一方で、個の自由が促進されると、さまざまな情報や多様な価値観が生まれ、合意形成は難しくなる。「みんなが好き勝手を言う中で、社会をまとめていくのは難しいことです。そこでは、日本人特有の以心伝心というコミュニケーションの手法は絶対に通用しません。必要となるのは対話と議論なのです。これからの社会は、個が有機的に関わって幸せになっていくというのが、私の目標とするイメージです」。

 

自己決定権の高い人生は幸せである


 目崎さんは、集団主義における問題のひとつはパターナリズムであると指摘する。それは、自分の判断を国や社会に丸投げしてしまうということだ。病気のことは医者に丸投げし、医療ミスがあれば責任を追及する。レストランでは、選ぶことを最初から放棄しておすすめメニューしか注文しない。「電車の中で携帯の使用を禁止しているのは日本ぐらいのものです。実際に問題が起きたらその場で解決すればいいのに、規則だからダメと決めて、みんながそれに従う。それはある意味、個人の判断を信用していないとも言えます。あなたは考えなくていい、国やシステムが考えるから黙って従いなさいという。それがパターナリズムなのです」。
 しかし、集団主義自体は簡単に否定できるものではない。他人に認められることによる幸せというのはあるし、集団に同化することによって自分を承認したりされたりするということで感じる幸せもある。「しかし、自分のやりたいことよりもまわりを優先する、つまり自分を殺している状態では、究極的には自己を否定しているわけですから、中途半端な満足感しか得られないのです」。

 

mesaki_7.jpg
 そこで目崎さんが提唱するのは、社会個人主義だ。「個人の幸福追求と社会の利益や公益性は、矛盾せずに両立できるはずだと私は考えています。要するに、自分のポテンシャルを最大限発揮することと、社会で承認されることがうまく融合できればいいということだと思います」。つまり、個人がそれぞれ得意な能力を用いて社会活動を行うことができれば、社会からの認知と、個人の幸福追求との両方を得ることができるという考え方だ。それを実現させるには、お互いの自由と権利を尊重し合い、多様な価値観を認めることが必要不可欠となる。
 幸福のことを考えるときに、「何のために生きるのか」「何のために社会があるのか」という、非常に重要でシンプルな問いが幸福に結びつくということを忘れてしまうと、過労死のような不幸なことが起きてしまうのだと、目崎さんは訴える。
 重要なのは、全体のために個人が手段となるのではなく、個人の自由や幸福度を優先させて、最終的に社会へ貢献するというという順序だ。「結局、自己決定権の高い人生というのは、何があっても幸せだということです。ですから、自己決定権を最大限認められる、そういう社会を作っていくべきだということを、私は提唱していきたいと思っています」。

 

質疑応答

 

mesaki_8.jpg【塾生】
今、目崎さん自身は何のために生きているのか教えて下さい。

 

【目崎さん】
できれば、世界中の人を幸せにしたいというものすごく大きな野心があります。それは無理かもしれないけれど、せめてこの日本から始めようと思い、現在いろいろな活動をしています。私自身、今自分が幸せであると自信を持って言えますが、それは自分が努力した結果ではなく、いろんな人と出会ったりインスピレーションをもらったりしたおかげです。自分自身もそういうものを与えられるよう、なるべく多くの人に対して、自分が経験してきたことを共有して、同じような感覚を持ってほしいと願っています。

 

【塾生】
日本で自己決定をする人が少ないのは、自分の将来を選択することに責任をとりたくない、あるいは選択することに不安があるからだと感じます。その背景はどこにあると思いますか?

 

【目崎さん】
そもそも、幸せを主体的に考えているか、本当に幸せに生きようとしているかという意識の問題かもしれません。幸せ自体がネガティブなものに捉えられている部分もあると思います。集団の中では好きなことをやりたいといえばわがままになってしまうので、好き嫌いを言ってはいけないとされるけれども、好きも嫌いもないのなら個性なんてありえません。個と社会とのコンフリクトがありながら、その中でどうやって個が顕在化していくかという大きな流れの象徴が幸福なのだと思います。

 

【塾生】
幸福は環境に影響されるというお話でしたが、個人の素養みたいなものもあると私は思うのですが、どうでしょうか?

 

【目崎さん】
非常に重要なポイントですね。ある調査によると、環境と個人の素養は半々であると言われています。だから、もちろん個人の素養の問題もあるのですが、個人のDNAを変えることはできません。でも、環境は変えることができるので、環境に注目しようということです。

 

【塾生】
すでに幸福度が高い北欧とかヨーロッパの国において、それをさらに高める、プラスをプラスにできるような要素について、実際にそれらの国を見てきた経験から、何かアイディアがありますか?

 

【目崎さん】
ヨーロッパを旅していて感じたのは、成熟した国であればあるほど、彼らの幸福感は意外にとても小市民的なものだということでした。それは、根本的な社会問題はもうほとんど解決されてしまっているからでしょう。小さな問題はいろいろあるとしても、命がけでやらなくてはいけないような問題は、だいたい昔の人がやってしまっていて、すでに達成されているのです。もちろん、そういう国の中でも、とてもアンビシャスな人はいますが、そういう類の人は発展途上国に行って帰ってこないというケースも多いです。その意味では、日本にはまだ命をかけてもいいぐらいの問題が山積みだと感じるので、私は日本にいてよかった、人生の価値があると感じています。

 mesaki_9.jpg

<編集後記>


数多くの統計的データに加え、自分自身が世界中を旅したエピソードを通して語られる提言は説得力があり、興味深いものだった。私たち日本人が無意識に感じている生きにくさのようなものについて、改めて考える機会を与えてくれたと思う。

▲ページTOP

アーカイブ

慶應義塾トップ | 当サイトのご利用・個人情報について

Copyright © Keio University. All rights reserved.