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福沢文明塾 コア・プログラム講義録

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第10期 コア・プログラム
ストラテジック・リーダーシップ
有事に問われるリーダーシップ

講師:阿部 憲子
南三陸ホテル観洋 女将
インタビュアー:田村 次朗(慶應義塾大学 法学部 教授)
ライター:永井 祐子
セッション開催日:2013年10月24日

  2011年3月、あの未曾有の大災害に襲われたとき、さまざまな場所でトップの判断力が問われた。今回お招きした阿部さんは、南三陸のホテルの女将として、宿泊者のみならず近隣の避難住民を受け入れた経験を持つ。追い詰められた状況の中で困難に立ち向かう難しさと、それを乗り越える力についてお話を伺った。

 

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心を強く持って、自らを奮い立たせる


 街の中心部の80%が被災したという南三陸町にありながら、固い岩盤の上に立つ同ホテルは建物が大きな損傷を受けることはなかった。そのため、地震直後からこの高台のホテルを目指して付近の住民が着の身着のまま集まって来た。しかし、電気や水などライフラインは途絶え、道路や橋は通れないという孤立状態が続く。パニックになると状況はどんどん厳しくなると判断した阿部さんは、その場にいる人たちに、できるだけのことはするので安心して欲しいと伝えた。
 「公の避難場所ではなかったけれど、我々を頼ってやってくる方をなんとか守らなくてはと必死でした。どこまでも沈んでしまいそうな状況で、それを止められる人間はふんばらなくてはと、心が奮い立つような思いでした」。心が折れそうになるスタッフには、心を強く持つよう、集まるたびに何度も声をかけた。「お客様や住民の方が最優先だと覚悟してほしい。あるものでしのぐしかないので、譲り合いの精神でがんばろうと伝えました」。
 厨房の責任者には、とりあえず1週間分の献立を立てることを指示した。「あの状況では、3日でどうにかなるものではない、しかしあまり長い日数を想定すると関係者の気持ちも持たないと思ったので、まずは1週間と考えました。自分たちの家族や家がどうなっているか分からない状況にも関わらず、ほとんどのスタッフが使命感を持って動いてくれたのは本当にありがたいことだと感謝しています」。
 同じような状況におかれても人によって反応はさまざまであり、それぞれに応じた対応が必要となる。落ち込んでいるスタッフには落ち着いた人を寄り添わせて時間をかけて接し、非常時にファイトが沸いてくるような人には牽引役としてがんばってもらう。「街中も建物の中も色を失った世界で、場を和ませてくれる明るい人柄の人は本当に貴重な存在でした。ブログが更新できるようになってからは、若いスタッフが明るい話題を発信してくれました。そうした日々の積み重ねは、とても大きな役割を果たしてくれたと思います」。

 

前例に縛られない、リーダーの決断


abe_2.JPG その後も4カ月は水道が止まったままだった。震災9日後に給水車が入ったものの、必要量にはまったく足りない。雨が降れば桶やバケツを外に出して、雨水を溜めて掃除に使った。雪の降る中、川で洗濯をする姿も街のあちこちで見られた。「旅先の後進国で見たような光景が、まさか自分の街で再現されるとは夢にも思いませんでした」。
 次々と発生する課題に対して、行政は既存の制度をあてはめることしかできずに、前例がない、所管が違うという理由で前に進まないことは多々あったという。「1000年に1度の災害というからには、そのレベルでの制度改革も必要なのではないでしょうか」。
 固定電話がつながるようになった2カ月後頃、インターネットを通じて淡水化処理システムの存在を知る。行政からは民間施設に支援はできないと言われ交渉は難航したが、震災後100日を過ぎた6月末、ようやく稼働にこぎつけた。ところが、後になって、実はこのシステムは3月末から貸し出しの準備ができており、30市町村に支援の打診をしていたものの、どの自治体からも要請を受けずにいたということを知らされた。「私たちは食中毒や感染症を出さないようにと、毎日ギリギリのところで過ごしていましたから、それを聞いて腰が抜けるほど驚きました」。困っている人と助けられる人とを効率的に結びつけるためには、今後に向けた改善点があると感じられる出来事だった。「それぞれの場所のリーダーが、自分が責任を持つからやれという指示ができていれば、確実にいろいろなことが違っていたと思われる場面はたくさんありました」。
 一方で、責任者の判断が適切でなかったために不幸な結果につながった事例もたくさんあった。「私自身も、もし違う指示を出していたら大変なことになっていたという場面もあり、トップの判断は本当に重いということを思い知らされました」。

 

避難住民向けコミュニティ作り


abe_3.JPG 震災2カ月後には二次避難住民600名、さらにNTTや電力会社、医療ボランティアなど総勢1000名を同ホテルで受け入れることになった。一般の宿泊客とは違って長期間の滞在になることもあり、住民との関係性にはとても気を遣ったという。ライフラインも整わない不自由な環境で、誰もが疲れ切った重々しい表情をしている。専門家からは、自殺などの防止のため、なるべく部屋にこもらせないよう助言された。しかし、やっと畳の上で生活できるようになった人々に部屋から出てきてもらうのは容易ではない。しかも、家族や親しい人とバラバラになって絆を断たれてしまった人も多い。そこで阿部さんが心がけたのは、新しいコミュニティ作りだった。階ごとに班長を決めて自治会を作りホテルのスタッフも参加し、週1回ミーティングを行う。さらに、気持ちを明るくするために、コンサートや教室などのイベントも開いた。そんなことを積み重ねるうちに、少しずつ気持ちが少しずつほぐれてきて、前に進むことができたという。「思っているだけでは伝わらない、思ったことは行動することが大事だと実感しました。それは社員との関係性でも同様です」。

 

交流人口を増やして地域を元気に


 震災後、街の人口流出は深刻だ。南三陸町ではすでに70%の事業者が廃業してしまった。地場産業の衰退を心配し、その流れに少しでも歯止めをかけたいという思いから、同ホテルでは震災1カ月後にレストランをオープンしている。まだ水道も通じない状況で、紙皿を使ったり、ジュースやお茶を瓶のまま提供したり、足りないものは知恵を絞った。それをきっかけに、「店舗はないが市場から直接仕入れて届けます」といって営業を始める商店が出てきた。「観光業は裾野が広いと言われている通り、その役目は大きいと実感しました。被災地が整備されたときに、チェーン店の看板ばかりではあまりに悲しいですから」。
 すべてを失った経営者たちには何の保障もなく、さまざまな支援制度も適用条件が厳しい。誰かに簡単になんとかしてもらえないなら、自分たちでなんとかしなくてはという思いから生まれたのが「南三陸 てん店(てん) まっぷ」だ。震災前は駅前やメイン通りにあったお店が、山の上や路地裏に再建せざるを得なかったというケースは多い。大きな仮設商店街は賑わいをみせる一方で、そうした場所に点在する店舗はかなり厳しい状態だ。そこで、これらの店主に声をかけ、一同に紹介するスタンプラリープレゼント付きのイラストマップを作成したのだ。「現地はこれから高台の造成が始まるという段階ですから、定住人口はそう簡単には戻りません。でも、せめて交流人口を増やすことは確実に地域を元気にできるはずです。そのためには私たち観光業ががんばらなくてはと思っています」。

 

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<質疑応答>

 

【塾生】
危機的状況下でリーダーシップをとるにあたって、具体的に心がけたことは?

 

【阿部さん】
全員の気持ちをいかにプラスの方向に導くか。それはトップの手腕にかかっているのだと感じています。ですから、みんなの気持ちが負の方向に流れないように努力しました。どうしても暗い雰囲気になりがちなので、誰が言い出したのか朝はラジオ体操をするなど、ちょっとずつ工夫をしました。こんなことをしたらみんなが元気になるのではないか、気持ちがひとつになるのではないかと思ったら、小さなことでも意識してやってみるようにしていました。

 

 

【塾生】
あの非常事態にスタッフ全員が使命感を持って動けたのは、普段からのリーダーシップやスタッフとの信頼関係の賜だと思いますが、どのようなことを心がけていたのでしょうか?

 

【阿部さん】
我々の商売が単なるマニュアルでは運営できないものだという面が大きいのかもしれません。お客様の好みや価値観はさまざまですから、その場その場で対応を考えて行動しなくてはいけないということを、常日頃から積み重ねていました。そうした職業観が今回はすごく役に立ったのかなと感じています。非常時にはマニュアルだけでは十分ではないということが身にしみたので、今後も現場力をもっと強化したいと思っています。

 

 

abe_6.JPG【塾生】
「復興」とは、元の状態に戻ることなのか、同じ方向性で発展するのか、違う価値観を目指すのか。どのように捉えていらっしゃいますか?

 

【阿部さん】
根本的には、みんながもっと笑顔で過ごせるようになったり、自分の街に誇りを持って住めるようになったりすることだと思います。そのためには、自分たちがそういう街にするのだという気持ちを持つことが大事でしょう。そんな私たちがありがたいなと感じるのは、今回の件で関心を持ってお越しいただいた方から、「ここはいいところですね」と言っていただくときです。地元の人間にとっては、「きっといい街にできる、目標は遠いけれどがんばろう」と思える瞬間です。当事者だけではなかなか解決できなかったり前に進めなかったりすることもありますが、外の方たちと話すことでアイディアが生まれたり、自分たちの宝に気づくこともあります。積極的にみなさんと関わりながら、復興が感じられる日に早く近づきたいと思っています。

 

 

【塾生】
当時を思い出して語るのはお辛いでしょうが、それでもあえて伝えたいというその想い、その原動力はなんですか?

 

【阿部さん】
被災地を訪れて「ここは元々野原だったのですか?」とおっしゃる方もいます。そういう話を聞くと、辛いという気持ちを乗り越えてきちんと伝え、分かっていただかないと復興は早まらないと感じます。事実がきちんと伝わらないためか、当日以降も人災だと思われる場面はたくさんありました。今後もそういうことが起こらないように、まずは知っていただくことが必要だと思っています。私も人前に出て話をするのは得意ではないのですが、お声をかけていただいたからにはその役目を果たさなくてはと考えています。

 

 

【塾生】
被災地以外の人間にとっては、このことを「自分事化」するのがむずかしい人もいます。そのことについてどう思いますか?

 

【阿部さん】
  住んでいる地域や立場によって、感じ方には違いがあるでしょう。我々の街でも、海の近くに住む人の意識は高かったけれど、離れた人たちの中にはそうではなかったために大勢の犠牲者が出てしまったというケースもありました。我々のホテルには内陸部や東京のお客様もいらっしゃいましたし、仕事でたまたま国道を走っていて被害に遭われた方もいます。どこに住んでいたとしても、いつどんな災害に遭うか分からないので、わが身に置き換えて考えるのは大事だと思います。

  ただ、むずかしく考えすぎたり、自分に何ができるのかと気負いすぎたりする必要はないと思います。ボランティアと言わず、現地に来てガソリンを入れるだけ、おみやげを1つ買うだけでも、助かる人や喜ぶ人がたくさんいます。お越しいただければ、みなさんの防災意識も間違いなく高まると思います。私たちからお願いしたいのは、もし何かを聞いたり見たりする機会があったら、そのことをぜひまわりの誰かに伝えて欲しいということです。現地の者だけが声を上げても伝わりにくかったり、説得力に欠けたりする部分があると感じているからです。

  ここにいらっしゃる方は海外の方と接点を持つ方も多いでしょう。海外の方からこのことについて聞かれたとき、聞いた話、テレビで見た話というのではなく、少しでも自分の目で見た具体的なことを話していただければと思います。今回は本当に世界中のたくさんの方からも助けていただきましたから、ぜひみなさんにはそういう役目を果たしていただけたらうれしいです。

 

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クロージングメッセージ

 

  震災後1年ほど経ったとき、住民の方たちから「遠くに親戚がいっぱいできたみたいだ」という言葉をいただき、とてもうれしく思いました。本当に人と人が触れあう、交流するというのは人を元気にするのだなと感じています。積極的に人と関わった人たちは前を向くようになったし、明るくなりました。この震災で失ったものは数え切れないほどあるけれど、得るものも大きかったというのは、決して強がりではありません。1000年に1度の災害は1000年に1度の学びの場でもあったと感じています。あの震災がなければ、今日私がここにいることもなかったでしょう。みなさまと細くとも長いご縁が結ばれたらうれしいと思っています。

 

<編集後記>


  柔らかな語り口ながら、芯の強さを感じさせる阿部さんの言葉からは、当事者ならではの切々とした思いが伝わってきた。被災地のために自分は何ができるのか。あの出来事から何を学び取るべきなのか。それぞれが自分自身の問題として向き合う大きな契機になったに違いない。

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