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福沢文明塾 コア・プログラム講義録

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第10期 コア・プログラム
ベーシック・リーディング
家族とは何か―福澤諭吉の家族論

講師:西澤 直子
慶應義塾 福澤研究センター 教授
ライター:永井 祐子
セッション開催日:2013年10月19日

 

最近、若い世代を中心に専業主婦願望を持つ女性が増えているという。一方で、婚外子の相続差別を違憲とする最高裁判決が出されるなど、家族のあり方をめぐってはさまざまな意見が出てきている。今回は、福澤が思い描いた家族論を学びながら、21世紀の今、そこからどんな示唆が受け取れるのかを考えてみる。
誰にでも分かりやすい男女平等論
日本の近代化を目指していた福澤は、結婚や家族についても、近代的な要素を取り入れて変えていくべきだと考えていた。特に女性論については、女性も男性と同じ人間なのだから等しい存在として認められるべきであると力説していた。当時、西洋から天賦人権思想が入ってきたことにより、男女平等についての議論自体は広く行われていた。そんな中で注目されるのは、男女平等という理念を、誰もが理解する必要があると、福澤が訴えていたことだ。法律を扱う人たちが権利や義務を論じるだけでなく、まず一般の人が理解することが重要だと考えたのである。
『学問のすすめ』の中の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといえり」という一節にある「人」とは成人男性を指すというのが、当時の人たちの一般的な受け取り方だった。しかし、福澤は第八編でさらに「男も人なり女も人なり」と述べ、男性も女性もみな同じ人間なのだということを主張していた。
このように明治維新後すぐに男女平等について触れていた福澤は、明治10年代以降には、さらに『日本婦人論』(明治18年)、『男女交際論』(明治19年)といったストレートなタイトルの書物を発表している。これらの本の中では、自分が「温い」と思った風呂も男性が「熱い」と言えば「熱いのだ」と思ってしまうような状態を打破し、女性も自分の肌で感じた通りに「温い」と言えるようになるべきであるというような、非常に分かりやすい例えを用いて、男女はまったく等しい存在であると説いている。
福澤をとりまく女性たちの影響
そもそも、なぜ福澤はこのように女性の立場に関心を持つようになったのか。福澤は兄1人、姉3人を持つ末っ子として生まれたが、1歳半で父親を亡くしている。父親が元々家禄の低い下級武士だったこともあり、母親は女手一つで苦労しながら子供たちを育てた。兄は30歳で早世し、武士の妻であった姉たちも自分たちで稼ぐことができなかったため、福澤は、母親はもちろん姉たちをも三田に呼び寄せ、その子供たちの面倒も見ていた。さらには妻の母や姉に加え、主君であった奥平家の藩主も一時期三田で世話をすることになり、そのまわりの多数の女性たちもやってきたという。
こうした女性たちを目の当たりにして、近代国家を作っていくにあたり、女性たちが男性に自分の生涯を委ねなくてはならない状況を変える必要性を実感したのは想像に難くない。
福澤は明治5年には慶應義塾の中の現在の旧図書館のある場所に「衣服仕立局」を開業し、彼女たちの生活の糧にしようとした。女性の仕事と言えば寺子屋の師匠や髪結い、あるいは身を売ることぐらいしかなかった当時、適切な職業を与えることで、女性たちが誰かに頼らないと生きていけない状況を解消したかったのだろう。
一身独立から一家独立、そして一国独立へ
福澤が自分の言葉で初めて女性について触れたのは、明治3年に書いた『中津留別之書』である。当時中津に住んでいた母親を迎えに行き、東京へ戻るに当たり、中津の人たちへのお別れのメッセージとして書かれたこの文章は、『学問のすすめ』のベースになっているとも言え、福澤が生涯をかけて主張したことのエッセンスが詰まっている。
その中では「人倫の大本(たいほん)は夫婦なり」とし、人間関係の基本は夫婦であると述べている。江戸時代までの武士社会では長男にすべてを相続させる継続性のある「家」を重んじたのに比べ、近代社会を形成するのは夫婦を中心としたひとつの家族であり、夫婦は愛・敬・恕によって結びつくことが重要だと福澤は考えていた。
多くの研究者の共通する認識としては、当時想定された近代家族とは、短期間に日本が近代国家となるためには、どんな家族が必要なのかという視点で考えられた。すなわち国家形成という目的のためにひとつの役割を果たすものとして、家族を捉えていたのだ。
では、福澤は家族の役割をどう考えていたのか。国家というのはまず個人の存在が先にあって、人々が主体的に社会や国家を作る、そのためには「一身独立」が重要であるという考え方は、彼の生涯で揺るがない信念であった。したがって、家族についても、日本とはこうあるべきという国家観があり、それを作るためにどのような家族を作るかという発想ではなく、まず国民ありきの国家を作るにはどんな家族が理想的なのかという考え方だった。
『学問のすすめ』の第三編には「一身独立」について詳しく述べられた部分がある。それによると、一つは他人の智恵に寄らず精神的に自立することであり、二つめは他人の財に寄らず経済的に自立することである。しかし、実際には、250年も続いた武士の社会で培われた習慣や考え方を変えて、こうした一身独立を成し遂げることは容易ではない。そこで、これを補完するものとして家族の役割を考えたと思われる。家族間のつながりによる精神的安定は、精神的自立を目指す上で大きな効果がある。また、一人ひとりの収入で生きていくことはむずかしくても、家族が役割分担をしながら家計を支え合うことで、家族としての経済的な自立ができると考えたのである。
すなわち、一身独立からいきなり一国独立へと直接つなげるのは無理があるので、それを補うものとして「一家独立」を据える、それが当時の段階としては一番現実的な方法だと考えたのではないだろうか。
また、公徳は私徳から生まれると考える福澤にとって、モラルを学ぶ場としても家族は大きな役割を果たすものであった。家の中で親がお手本を示すことで、その姿を見た子供たちの中にモラルが育ち、それが公共の道徳に広がっていくと考えたのである。
福澤のこうした家族論は、近世までの「家」を解体しなくてはいけないと考える一方で、そのいいところは利用しようとしていたとも言える。このあたりが、女性論については誰にでも分かりやすく明快な主張を持っていたのに比べると、家族論については少し不明瞭で曖昧模糊としているとされる所以なのだと思う。
文明の発展段階に応じて変容する家族の形
このように、福澤は近代国家を作る上で家族の役割を重視していたわけだが、では機能を持ってしまった「一家」は「一身」と矛盾しないのか。個人の意向が家族の意向と常に一致するとは限らないし、夫婦間の愛情が一生変わらないという保証もない。その点について、福澤はどう考えていたのか。
文明とは発展していくものだと考える福澤は、その文明の度会いに見合った家族の形があるとも考えていた。一身独立が一番の基本であり、まず個人が存在してそこから家族が生まれるという構造ではあるけれども、近代日本にとって一番ふさわしい姿は何かと考えたとき、家族もまたある程度の機能を持つものでなくてはならない。愛・敬・恕という感情的な結びつきを基本と考え、ゆえに自由恋愛論(フリーラブ)が人間が到達する最も進んだ姿であると考えるものの、現実には、一夫一婦制、偕老同穴を守っていく。それが近代国家を形成していこうとする当時の日本においては、一番ふさわしい家族の形だと考えたのだろう。
最後に、改めて家族とは何かと考えてみたい。家族だからわかり合える、許し合えるという親密性はよいことではあるが、それをあまりに過信すると落とし穴があるのではないか。児童虐待などに見られるように、親だからといって無条件の愛情を子供に注げるわけではない。そもそも、家族は個人の集合体として存在するとしても、夫婦は選べても親子は互いを選べないというところに、根本的な問題があると思う。
福澤が言うように文明の度会いに見合った家族の形があるとするならば、現代の私たちも自分たちの時代にあった家族の形を模索していくことになる。そこで目指すものは当然一つのパターンではなく、どんどん多様化していくのだと思う。その多様化を私たちはどのように認めていくべきなのか。法律面での保護という現実的な視点から考えると、「家族と何か」という規定がある程度は必要になってくる。多様性を認めながら、どんな規定を作っていくのか。それはとてもむずかしい問題であり、さまざまな意見の分かれるところだと思うので、ぜひ皆さんの意見も伺ってみたい。
<質疑応答>
【塾生】
「公徳」というと学校教育に近いものを思い浮かべるので、家族を単位として形成されるということがイメージできないのですが?
【西澤さん】
「徳の教えは耳より入らずして目より入る」と述べている通り、言葉で何度教えるよりも、まわりの大人たちが実践している姿を目の前で見せることによって理解させ、行動に移させようという発想です。「老人を大切に」と言葉で教えるのではなく、実際にそうしている姿を見せることによって学ばせる。子供が小さいときから折に触れてそれを教える機会があるのは家族であるということで、モラルを学ぶ場として家族の役割を考えたのでしょう。
【塾生】
家族がもたらす精神的安定が精神的自立をもたらすとありましたが、むしろ家族に甘えてしまって精神的自立を妨げる部分もあるのではないでしょうか。
【西澤さん】
おっしゃる通り、家族は支えにもなるが、逃げ場になってしまう面もあります。福澤はスイートホームという言葉を使って、家族団らんのプラス面ばかりを考えていたように思われますが、やはりそこには福澤の想定しないようなマイナス面もあるのではないかと、私も思います。
【塾生】
自分が唱えた家族論を、福澤自身は実践できていたのでしょうか?
【西澤さん】
父親が威張っている前で家族が縮こまっているという家族ではなかったようですが、必ずしも彼の理想としていた通りにはいかなかったようです。一因としては、250万石取の江戸定府の娘として育った妻と、貧しい中女手一つで育ててくれる母親をなんとか助けてあげたいと思いながら生きてきた福澤との間には、幼い頃から染みついた感覚に大きな違いがあり、そのギャップを埋めるのはむずかしかったようです。
【塾生】
端的に言って、現代の日本の家族は何が一番問題なのだと思われますか?
【西澤さん】
近代国家が作られていく中で染みこんできた、いわゆる「理想的な家族像」というものから、多くの日本人がなかなか離れられないでいることだと思います。理想的な家族というのはそれぞれの人にとっての理想であって、本来は多様であるはずなのに、共通する理想像を作ろうとするところに問題があるのではないでしょうか。たとえば、サザエさんの家族を理想的だと考える人が国民の8割を越えるような状況では、残りの2割は間違っているという方向に行きかねません。8割の人がそう思っているならそれを法律で守ればいいという話になってしまうのが心配です。
【塾生】
そもそも、家族論をディスカッションすることにはどんな意味があるのでしょうか?
【西澤さん】
福澤は国民が主体的に社会を作る重要性を説きました。私たちは「社会が悪い」という言い方をすることがありますが、それは、そんな社会を作った自分たちが悪いということでもあります。自分たちが積極的に社会を作っていくという意識を持つためにも、その根本として、主体的に家族を作るということを考えてみたいと思いました。
<クロージングメッセージ>
結論を求めず、違う意見に触れ多様性を容認する
今日のセッションは、私自身も結論が見えていないまま、皆さんの意見や考えを伺いました。ただ、結論を出すこと自体がある意味では危険なことだとも思っています。この場にこれだけたくさんの人がいていろいろな意見がある中で、「これが正しい」というところに集約させていくことはしたくないと思いました。皆さんそれぞれいろいろな意見があるということを知り、福澤が言うところの多事争論することによって、自分の意見の修正もできるし、他人の意見を受け入れていくこともでき、多様性の容認ということにつながっていくのではないかと考えています。ですから、結論がない議論は意味がないというのではなくて、結論がない議論だからこそ、みんなが意見を出すということが重要なのではないでしょうか。消化不良な部分もあるかもしれせんが、興味のある方は他の先生方の家族論なども読んでいただいて、いろいろな意見に触れていただければと思います。
<編集後記>
福澤の家族写真もスライドで公開され、当時の女性たちの生き方をリアルにイメージすることができた。普段あまり意識することのない「家族」というものを、社会を作っていくひとつの単位として捉えるという考え方は、私たちがどんな社会を作っていきたいのかということにもつながっていくのだと、気づかせてくれたセッションだった。

最近、若い世代を中心に専業主婦願望を持つ女性が増えているという。一方で、婚外子の相続差別を違憲とする最高裁判決が出されるなど、家族のあり方をめぐってはさまざまな意見が出てきている。今回は、福澤が思い描いた家族論を学びながら、21世紀の今、そこからどんな示唆が受け取れるのかを考えてみる。

 

 

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誰にでも分かりやすい男女平等論

 

日本の近代化を目指していた福澤は、結婚や家族についても、近代的な要素を取り入れて変えていくべきだと考えていた。特に女性論については、女性も男性と同じ人間なのだから等しい存在として認められるべきであると力説していた。当時、西洋から天賦人権思想が入ってきたことにより、男女平等についての議論自体は広く行われていた。そんな中で注目されるのは、男女平等という理念を、誰もが理解する必要があると、福澤が訴えていたことだ。法律を扱う人たちが権利や義務を論じるだけでなく、まず一般の人が理解することが重要だと考えたのである。

『学問のすすめ』の中の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといえり」という一節にある「人」とは成人男性を指すというのが、当時の人たちの一般的な受け取り方だった。しかし、福澤は第八編でさらに「男も人なり女も人なり」と述べ、男性も女性もみな同じ人間なのだということを主張していた。

このように明治維新後すぐに男女平等について触れていた福澤は、明治10年代以降には、さらに『日本婦人論』(明治18年)、『男女交際論』(明治19年)といったストレートなタイトルの書物を発表している。これらの本の中では、自分が「温い」と思った風呂も男性が「熱い」と言えば「熱いのだ」と思ってしまうような状態を打破し、女性も自分の肌で感じた通りに「温い」と言えるようになるべきであるというような、非常に分かりやすい例えを用いて、男女はまったく等しい存在であると説いている。

 

 

福澤をとりまく女性たちの影響

 

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そもそも、なぜ福澤はこのように女性の立場に関心を持つようになったのか。福澤は兄1人、姉3人を持つ末っ子として生まれたが、1歳半で父親を亡くしている。父親が元々家禄の低い下級武士だったこともあり、母親は女手一つで苦労しながら子供たちを育てた。兄は30歳で早世し、武士の妻であった姉たちも自分たちで稼ぐことができなかったため、福澤は、母親はもちろん姉たちをも三田に呼び寄せ、その子供たちの面倒も見ていた。さらには妻の母や姉に加え、主君であった奥平家の藩主も一時期三田で世話をすることになり、そのまわりの多数の女性たちもやってきたという。

こうした女性たちを目の当たりにして、近代国家を作っていくにあたり、女性たちが男性に自分の生涯を委ねなくてはならない状況を変える必要性を実感したのは想像に難くない。

福澤は明治5年には慶應義塾の中の現在の図書館旧館のある場所に「衣服仕立局」を開業し、彼女たちの生活の糧にしようとした。女性の仕事と言えば寺子屋の師匠や髪結い、あるいは身を売ることぐらいしかなかった当時、適切な職業を与えることで、女性たちが誰かに頼らないと生きていけない状況を解消したかったのだろう。

 

 

一身独立から一家独立、そして一国独立へ

 

福澤が自分の言葉で初めて女性について触れたのは、明治3年に書いた『中津留別之書』である。当時中津に住んでいた母親を迎えに行き、東京へ戻るに当たり、中津の人たちへのお別れのメッセージとして書かれたこの文章は、『学問のすすめ』のベースになっているとも言え、福澤が生涯をかけて主張したことのエッセンスが詰まっている。その中では「人倫の大本(たいほん)は夫婦なり」とし、人間関係の基本は夫婦であると述べている。江戸時代までの武士社会では長男にすべてを相続させる継続性のある「家」を重んじたのに比べ、近代社会を形成するのは夫婦を中心としたひとつの家族であり、夫婦は愛・敬・恕によって結びつくことが重要だと福澤は考えていた。

 

多くの研究者の共通する認識としては、当時想定された近代家族とは、短期間に日本が近代国家となるためには、どんな家族が必要なのかという視点で考えられた。すなわち国家形成という目的のためにひとつの役割を果たすものとして、家族を捉えていたのだ。

では、福澤は家族の役割をどう考えていたのか。国家というのはまず個人の存在が先にあって、人々が主体的に社会や国家を作る、そのためには「一身独立」が重要であるという考え方は、彼の生涯で揺るがない信念であった。したがって、家族についても、日本とはこうあるべきという国家観があり、それを作るためにどのような家族を作るかという発想ではなく、まず国民ありきの国家を作るにはどんな家族が理想的なのかという考え方だった。

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『学問のすすめ』の第三編には「一身独立」について詳しく述べた部分がある。それによると、一つは他人の智恵に寄らず精神的に自立することであり、二つめは他人の財に寄らず経済的に自立することである。しかし、実際には、250年も続いた武士の社会で培われた習慣や考え方を変えて、こうした一身独立を成し遂げることは容易ではない。そこで、これを補完するものとして家族の役割を考えたと思われる。家族間のつながりによる精神的安定は、精神的自立を目指す上で大きな効果がある。また、一人ひとりの収入で生きていくことはむずかしくても、家族が役割分担をしながら家計を支え合うことで、家族としての経済的な自立ができると考えたのである。

すなわち、一身独立からいきなり一国独立へと直接つなげるのは無理があるので、それを補うものとして「一家独立」を据える、それが当時の段階としては一番現実的な方法だと考えたのではないだろうか。

また、公徳は私徳から生まれると考える福澤にとって、モラルを学ぶ場としても家族は大きな役割を果たすものであった。家の中で親がお手本を示すことで、その姿を見た子供たちの中にモラルが育ち、それが公共の道徳に広がっていくと考えたのである。

福澤のこうした家族論は、近世までの「家」を解体しなくてはいけないと考える一方で、そのいいところは利用しようとしていたとも言える。このあたりが、女性論については誰にでも分かりやすく明快な主張を持っていたのに比べると、家族論については少し不明瞭で曖昧模糊としているとされる所以なのだと思う。

 

 

文明の発展段階に応じて変容する家族の形

 

このように、福澤は近代国家を作る上で家族の役割を重視していたわけだが、では機能を持ってしまった「一家」は「一身」と矛盾しないのか。個人の意向が家族の意向と常に一致するとは限らないし、夫婦間の愛情が一生変わらないという保証もない。その点について、福澤はどう考えていたのか。

 

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文明とは発展していくものだと考える福澤は、その文明の度会いに見合った家族の形があるとも考えていた。一身独立が一番の基本であり、まず個人が存在してそこから家族が生まれるという構造ではあるけれども、近代日本にとって一番ふさわしい姿は何かと考えたとき、家族もまたある程度の機能を持つものでなくてはならない。愛・敬・恕という感情的な結びつきを基本と考え、ゆえに自由恋愛論(フリーラブ)が人間が到達する最も進んだ姿であると考えるものの、現実には、一夫一婦制、偕老同穴を守っていく。それが近代国家を形成していこうとする当時の日本においては、一番ふさわしい家族の形だと考えたのだろう。

 

最後に、改めて家族とは何かと考えてみたい。家族だからわかり合える、許し合えるという親密性はよいことではあるが、それをあまりに過信すると落とし穴があるのではないか。児童虐待などに見られるように、親だからといって無条件の愛情を子供に注げるわけではない。そもそも、家族は個人の集合体として存在するとしても、夫婦は選べても親子は互いを選べないというところに、根本的な問題があると思う。

福澤が言うように文明の度会いに見合った家族の形があるとするならば、現代の私たちも自分たちの時代にあった家族の形を模索していくことになる。そこで目指すものは当然一つのパターンではなく、どんどん多様化していくのだと思う。その多様化を私たちはどのように認めていくべきなのか。法律面での保護という現実的な視点から考えると、「家族と何か」という規定がある程度は必要になってくる。多様性を認めながら、どんな規定を作っていくのか。それはとてもむずかしい問題であり、さまざまな意見の分かれるところだと思うので、ぜひ皆さんの意見も伺ってみたい。

 

 

<質疑応答>

 

【塾生】

「公徳」というと学校教育に近いものを思い浮かべるので、家族を単位として形成されるということがイメージできないのですが?

 

【西澤さん】

「徳の教えは耳より入らずして目より入る」と述べている通り、言葉で何度教えるよりも、まわりの大人たちが実践している姿を目の前で見せることによって理解させ、行動に移させようという発想です。「老人を大切に」と言葉で教えるのではなく、実際にそうしている姿を見せることによって学ばせる。子供が小さいときから折に触れてそれを教える機会があるのは家族であるということで、モラルを学ぶ場として家族の役割を考えたのでしょう。

 

 

【塾生】

家族がもたらす精神的安定が精神的自立をもたらすとありましたが、むしろ家族に甘えてしまって精神的自立を妨げる部分もあるのではないでしょうか。

 

【西澤さん】

おっしゃる通り、家族は支えにもなるが、逃げ場になってしまう面もあります。福澤はスイートホームという言葉を使って、家族団らんのプラス面ばかりを考えていたように思われますが、やはりそこには福澤の想定しないようなマイナス面もあるのではないかと、私も思います。

 

 

【塾生】

自分が唱えた家族論を、福澤自身は実践できていたのでしょうか?

 

【西澤さん】

父親が威張っている前で家族が縮こまっているという家族ではなかったようですが、必ずしも彼の理想としていた通りにはいかなかったようです。一因としては、250万石取の江戸定府の娘として育った妻と、貧しい中女手一つで育ててくれる母親をなんとか助けてあげたいと思いながら生きてきた福澤との間には、幼い頃から染みついた感覚に大きな違いがあり、そのギャップを埋めるのはむずかしかったようです。

 

 

【塾生】

端的に言って、現代の日本の家族は何が一番問題なのだと思われますか?

 

【西澤さん】

近代国家が作られていく中で染みこんできた、いわゆる「理想的な家族像」というものから、多くの日本人がなかなか離れられないでいることだと思います。理想的な家族というのはそれぞれの人にとっての理想であって、本来は多様であるはずなのに、共通する理想像を作ろうとするところに問題があるのではないでしょうか。たとえば、サザエさんの家族を理想的だと考える人が国民の8割を越えるような状況では、残りの2割は間違っているという方向に行きかねません。8割の人がそう思っているならそれを法律で守ればいいという話になってしまうのが心配です。

 

 

【塾生】

そもそも、家族論をディスカッションすることにはどんな意味があるのでしょうか?

 

【西澤さん】

福澤は国民が主体的に社会を作る重要性を説きました。私たちは「社会が悪い」という言い方をすることがありますが、それは、そんな社会を作った自分たちが悪いということでもあります。自分たちが積極的に社会を作っていくという意識を持つためにも、その根本として、主体的に家族を作るということを考えてみたいと思いました。

 

 

 

<クロージングメッセージ>

 

結論を求めず、違う意見に触れ多様性を容認する

 

 

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今日のセッションは、私自身も結論が見えていないまま、皆さんの意見や考えを伺いました。ただ、結論を出すこと自体がある意味では危険なことだとも思っています。この場にこれだけたくさんの人がいていろいろな意見がある中で、「これが正しい」というところに集約させていくことはしたくないと思いました。皆さんそれぞれいろいろな意見があるということを知り、福澤が言うところの多事争論することによって、自分の意見の修正もできるし、他人の意見を受け入れていくこともでき、多様性の容認ということにつながっていくのではないかと考えています。ですから、結論がない議論は意味がないというのではなくて、結論がない議論だからこそ、みんなが意見を出すということが重要なのではないでしょうか。消化不良な部分もあるかもしれせんが、興味のある方は他の先生方の家族論なども読んでいただいて、いろいろな意見に触れていただければと思います。

 

 

 

<編集後記>

 

福澤の家族写真もスライドで公開され、当時の女性たちの生き方をリアルにイメージすることができた。普段あまり意識することのない「家族」というものを、社会を作っていくひとつの単位として捉えるという考え方は、私たちがどんな社会を作っていきたいのかということにもつながっていくのだと、気づかせてくれたセッションだった。

 

 

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    「観光先進国日本の進むべき道」

    伊達美和子
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    (鈴与株式会社 代表取締役社長)

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