慶應義塾

福沢文明塾 コア・プログラム講義録

このサイトについて

ホーム > ベーシックナレッジ > 第10期 コア・プログラムベーシック・ナレッジ『幸福』を開く/『幸福』が開かれる

第10期 コア・プログラム
ベーシック・ナレッジ
『幸福』を開く/『幸福』が開かれる

講師:前野 隆司
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科 委員長
インタビュアー:羽田 功(慶應義塾大学 経済学部 教授)
ライター:永井 祐子
セッション開催日:2013年10月17日

   前野さんが委員長を務めるシステムデザイン・マネジメント(SDM)研究科は、複雑に絡み合った大規模・複雑な諸問題を、全体統合的な視点から解決することを目指して2008年に設立されたものだ。前野さん自身は、ロボットの研究から、脳の働きを手がかりにした人間の心の哲学、さらには幸福学へとその研究の対象を広げてきた。今回は前野さんの考える「受動意識仮説」という理論を学びながら、人間の幸福について考えるセッションが行われた。

 

 maeno_2.jpg

ロボット研究で培った見地から、心の謎に迫る

 

   機械工学科を専門分野としていた前野さんは、元々は人間に興味があったこともあり、人間と機械とのインターフェイスに関心を持ち、ロボット研究の道に進んだという経歴を持つ。機械工学の専門家が心の領域を扱うというのは意外な印象もあるが、理系ならではのアプローチで脳や心を理解しようという点が、前野さんの研究の特徴でもある。「ロボットを作るのは、人間を単純化してそのメカニズムをイメージするということです。その捉え方で理解していくことによって、人間の感動や共感、イノベーションなども基本的なメカニズムが分かるのではないかと考えたのです」。
 そんな前野さんが、「心とは何か?」「意識とは何か?」という謎に挑んだ結果たどり着いたのが、受動意識仮説という仮説だ。2005年にその研究結果を『ロボットの心の作り方(受動意識仮説に基づく基本概念の提案)』という論文として学会誌に投稿した。その後、より広範囲な人にもこのことについて考えて欲しいという思いから、一般の人向けにわかりやすく解説した『脳はなぜ「心」を作ったのか』(ちくま文庫)という本も出版している。

 

「心の天動説」から「心の地動説」へ

maeno_3.jpg
 1983年、カリフォルニア大学のベンジャミン・リベット教授がある実験を行った。脳に電極を取り付けた被験者に指を動かすという動作をさせ、脳から筋肉に指令が出る瞬間と、自分で「動かそう」と意図した瞬間との時間差を計測するというものだ。その結果、自分の意図を自覚する0.35秒前に、すでに脳からの指令が出ていることが分かった。私たちは自分が動かそうと意図した結果として筋肉に指令が行くように思っているが、実は動かそうという意図を「意識」するよりも先に、「無意識」のスイッチが入り動かす準備が始まっているということになる。
 この事象について前野さんは、「意識」にわき上がる「意図」とは受動的なものだと理解すれば説明できるとする。「私たちは通常、自分の「意識」の上の「意図」がすべてを主体的にコントロールしているというイメージを持っています。しかし、「意識」が「意図」することですべてが始まるというのは錯覚であって、実際には「意識」は結果を見ているだけなのです」。
 脳内における「無意識」な活動は、脳内のニューラルネットワーク(神経回路網)がそれぞれ独立して行っているものと考えられている。前野さんはこれを「小びと」に例え、脳内でたくさんの小びとたちが分担してさまざまな処理を行なっているようなものと説明する。脳内の小びとたちの活動結果を受け入れ、自分がやったことであると解釈して記憶している受動的な存在、それこそが、私たちが「意識」だと思っているものの正体なのだという。すなわち、「意識」=「心」とは自分が行なったことを思い出として記憶するためにあるにすぎないものなのだ。
 「意識」が司令塔のようにトップダウン式ですべてを把握し統括しているというこれまでの考え方を、「意識」を中心とした「心の天動説」とすると、「無意識」下の小びとたちが行っている自律分散的情報処理による、ボトムアップ式で行動の原型が作られるという受動意識仮説は、「心の地動説」とも言える。

 

「心」は幻想ですべては無であるからこそ、何も怖くない


 「意識」と「心」のコペルニクス的転回とも言えるこの仮説は、発表後に賛否両論のセンセーションを巻き起こした。興味深いのは、この仮説についての講演会などを行ったところ、アメリカでは多くの反論が出てくるのに対し、インドでは「当然のこと」という空気で受け止められたという、その反応の違いだ。「唯一絶対の神が作った人間を能動的な存在として捉える近代西洋的世界観に対し、東洋では人間は生かされている受動的な存在であると考えます。仏教の「諸法無我」(あらゆる事物には、永遠・不変な本性である我がないということ)という教えに代表されるような考え方には、受動意識仮説と通じるものがあるのかもしれません」。
 自分が「意識」するより前に「無意識」が処理を始めているということは、すなわち「意識」や「心」とは幻想なのだと、前野さんは考える。「私たちは、自分は生きているように感じるけれども、それは生きているような気がしているだけであって、実は最初から何もない、死んでいるようなものなのです」。
 「最初から死んでいる」「何もない」などといわれると、やる気が失せてしまうという受け取り方もある。しかし、元々ないものがたまたまあるように見えること自体が儲け物だと考えれば、何も怖くないし何でもできるいう考え方も生まれてくる。「ゼロであることをポジティブに捉えるか、ネガティブに捉えるか。それは論理的に説明できるものではなく、科学を超越した哲学、精神論です。この理論を知って気が楽になったという人もいれば、信じたくもないと感じる人もいます。最後の判断はその人それぞれの感性によるのだと思います」。

 

人生は無であるからこそ、思い切り幸福を目指す


maeno_7.jpg この研究をまとめ終えた前野さんは、虚脱感に襲われたという。「自分が一番知りたかったことを追求し、それを人に伝えたことで、人生でやりたかったことはやり終えてしまったような感覚に陥ったのです」。その後もロボットの研究は継続し、笑うロボットなど、いわばロボットの幸福を追求する試みも行なっていた。しかし、やはりロボットではなく人間の幸せを考えるべきなのではと思い至り、2008年からは幸福学の研究に着手した。「人生は無だからこそ思い切り幸せを目指せるというのが私の考えです。人生は無であるという部分は信じる人と信じない人がいるでしょうが、いずれにしろどう生きるのかということを考えたとき、人間が目指すべき幸せという、より現実的な研究をしてみたいと考えるようになりました」。
 そこで文献などに当たってみると、それまでの幸福学の研究では、主観的幸福と客観的幸福、あるいは目の前の5分間ぐらいの感情的な幸福と数年変わらない幸福、その他健康や結婚、宗教との関わりなど、さまざまな研究が行われていた。年収7万5000ドルまでは感情的幸福と年収は比例するが、それを越えると相関関係がなくなるのだという研究結果もある。
 これら部分的な研究に加えて、全体的な分析を行ったものとしては、幸福感との相関関係が強いのは健康、結婚、宗教の3つであり、一方、金・モノ・名誉など他人との比較で満足を感じる地位財からくる幸せは長続きしないという分析がある。

 

幸福のための4つの因子とは


 こうした既存の研究結果を踏まえて、では、非地位財、特に心に関係のある幸福の要因とは何か。それが全体としてはどんな関係になっているのかを明らかにするため、前野さんは1500人の日本人に対してアンケート調査を行なった。そして、幸福の心的要因の全項目をコンピュータで因子分析し、幸福の4つの因子を導き出した。
 その因子のうちの1つが「自己実現と成長」だ。目標が明確な人は幸福である傾向が強い。一般に、目標を達成すること自体が幸福につながると考えがちだが、実はそれを目指しているときが一番幸福なのだということを、この結果は示している。まさに「自分を磨く幸福」と言えるだろう。maeno_4.jpg
 2番目の因子は「まわりの人たちとのつながりと感謝」だ。人を喜ばせる傾向のある人は幸福であり、他人のために何かをしたいと考え、それを行動に移している人、利他性のある人は幸福になれる。また、友だちの数は多くなくても、友人の多様性や接触頻度は幸福と強い相関関係があったという。
 3番目は「前向きと楽観」。日本人はなにごとも真面目にきちんとやろうと神経質になりすぎるところがあるが、楽観的であろうとすることが幸福につながる傾向がある。
 そして4番目は「独立とマイペース」。自分の概念が明確で、地位財を求めようとせず、他人の目を気にせずに自分の幸福を目指している人は幸福なのだという。反対に他人との比較で幸福を求めようとすると、お金や名誉などにフォーカスを当てがちだが、それを手に入れてもその幸福は長続きしないからだ。
 このアンケート結果をクラスター分析してみると、全体の上位20%に当たるもっとも幸福度の高いグループは、この4つの因子がすべて高かったという。2番目に幸福なグループは「自己実現と成長」と「まわりの人たちとのつながりと感謝」の因子が高いという結果であった。

 

グループワークタイム


  ここまでの前野さんのお話を伺った後、残りの時間は参加者が10のグループに分かれて、受動意識仮説、および4つの幸福の因子のいずれかに関連したテーマを選び、「どうすれば幸せになれるか」「幸せの要因を取り入れて社会をよくするにはどうしたらいいか」などについて、約1時間グループ内で話し合い、その発表が行われた。以下はその中からの一部抜粋である。

 

maeno_5.jpg

グループA : テーマ「良い小びとを育てるにはどうするか?」


小びとの中にも、声の大きい小びととそうでない小びとがいると思う。環境が小びとを作るとすると、自分が良くしたいと思う要素のことを意識的に強く考えることによってその小びとを成長させ、発信する声を大きくできるのではないか。

 

グループB : テーマ「自己実現のための夢のフォローを考える」


すでに夢を持っている人向けにマッチングサイトなどを作る。夢をまだ持てずにいる人に対しては、インターンを義務化して勤労意欲を芽生えさせたり、夢を語る合宿を行ったり、あるいは自分の成長が可視化できるようなシステムを作ったりするのはどうか。

 

グループC : テーマ「つながりと感謝を感じるにはどうしたらよいか?」

表面的なつながりが深いつながりとなって、そこから感謝を感じられるような人間関係を築くためには、自分自身の「自己実現と成長」を感じることが前提となるのではないか。故に第一因子と第二因子は深い関係性があると思う。

 

グループD : テーマ「どうすれば、前向き、楽観でいられるか」


リスクを考えて悲観的になることを避けるために、まずとりあえずやってみること。やることを強制的に自分が好きなものと捉えてみること。さらには何かを盲目的に信じてみること。何か強く信じるものがあれば、悲観的にならずにすむのではないか。

 

グループE : テーマ「独立とマイペースとはどういうことか」


数字にとらわれない、多様な価値観や自由な発想を受け入れること。そのためには揺るがない信念が大事なのではないか。その信念を支える判断基準は、経験や体験を繰り返すことによって育っていくのではないか。

 maeno_6.jpg

前野さんによるクロージングメッセージ

 

 

  人間や社会といったむずかしい問題について考えるとき、理系、文系双方のアプローチかが共に答えを探して行くという時代が来ています。そういう意味では、この文明塾という場で多様なバックグラウンドを持つ皆さんが集まって議論をすることが、世の中をよくしていこうという動きにつながっていく可能性を感じます。

「心とは本質的には無である」と考えてみたとき何が見えてくるのか。また、「幸福の4つの因子は、そもそもどういうことなのか」という本質的なところに戻って考えてみると、自分の幸福やまわりの人の幸福、逆に不幸とはどういうことなのかが見えてくるのではないでしょうか。短い時間でしたが、今日の話は非常に根源的なことでもあります。これからも人生の中で折に触れて思い出すことで、他のテーマについて考えるときのヒントになるといいなと思います。

 

maeno_8.jpg

 

編集後記


「すべては無」「心とは幻想」という理論は、すぐに全面的に受け入れられないとしても、今後何かで思い悩んだとき、新しい視点を与えてくれるように思う。後半のグループワークではユニークな意見も飛び出し、自由活発な意見交換がなされた。幸福の要因を因子分析するという合理的なアプローチは、一人ひとりの幸せを考える上で現実的なヒントになることだろう。

▲ページTOP

アーカイブ

慶應義塾トップ | 当サイトのご利用・個人情報について

Copyright © Keio University. All rights reserved.