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第7期コア・プログラム
ベーシック・ナレッジ
美のたたずまい -日本画の世界-

講師:上村 淳之
日本画家
日本芸術院会員、創画会理事長
インタビュアー:羽田 功
ライター:永井祐子
セッション開催日:2012年6月9日

今回講師にお招きしたのは日本画家の上村淳之さん。祖母の上村松園、父の上村松篁に続き、親子3代で日本芸術院会員となったことでも知られている。特に花鳥画の第一人者である上村さんは、自宅に230種1300羽もの鳥を飼育しており、鳥類学者顔負けの知識もお持ちだ。自然と謙虚に向き合い、そこからイメージを育んで作品を作り上げていくという日本画の世界について語っていただいた。

 

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胸中に育んだイメージを、具現化する

 

 美大の学生時代に花を写生する課題が出たとき、上村さんの絵をほめると同時に師が告げたのは「すぐに作品にしてはいけない。3年ぐらいは寝かせなさい」という言葉だった。寝かせてから作品にするとはどういうことか。「対象物を見て、そこから得たさまざまな世界を胸中にため込み、醸成させ、イメージを作り上げていく。そのイメージを具現化するということです」。
 自然のたたずまいから美しい世界を教えられ、そこから自分の表現したい世界をイメージして作品にするのが、日本画の世界なのだという。「この世に生まれた私たちは、色や形、そのすべてを自然現象から学びます。自然が教えてくれる微妙な色や形の美しさは、人間が頭の中で考えるものを遙かに越えているのです」。そういう思いを持って自然と向き合うと、人間のちっぽけさ、そして自然の偉大さを知る。「日本の文化というのは、己の存在の小ささを自然から教えられて、謙譲な気持ちになる中で育まれてきたのだと、私は思います」。
 対象となる花や鳥を、自分と同じ目線で捕らえ、己の思いを託して描く。それができるのは、自然との共生の中で、その偉大さに教えられて導かれるという感性を持っている東洋人だからこそなのだという。「西洋の人たちのように人間が一番優れた生物だという感覚・感性で対象を見下していたのでは、花鳥画は描けません。生態をいくら克明に再現したとしても、生態画、観察画にしかならないのです。花鳥画を描く、すなわち花や鳥を主役にするには、それらは自分と対等の存在であるという感性が不可欠なのです」。

 

夢想した世界への思いの深さが、見る人を誘い込む

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 昔、大名が城の屏風絵などをお気に入りの作家に依頼した場合、実際に現場で作業をするのは、作家本人ではなく弟子たちであることが多かった。師匠の指示に従って描いた作品は、あくまで師匠がイメージした世界である。そこにはリアリティが欠けるのだと、上村さんは指摘する。「自分がイメージした世界に自分の思いを深めれば深めるほど、そこにリアリティが生まれるのです。自分が夢想したこの美しいすばらしい世界へ、みなさん一緒に行きましょうという気持ちがあって、初めてその空間にいる人を誘い込むことができるのだと思います」。
 ただし、どんな世界を夢想するかは、その作家の生き方、考え方が反映される。「よくない考え方をしていると、いい世界は夢想できません。こんな素晴らしい生き方がしたい、こうあらねばならないと考えている中で夢想すると、敬虔で神々しい、すばらしい世界が表れてきます。それをじっと待つ。形が新しいとか表現方法が奇抜であるとかいうことではない、新鮮な世界を表して、初めて名人だといえるのではないでしょうか」。
 たとえば、花鳥画で鳥を描くとき、単に鳥がそこに止まっていると考えたのでは絵にならない。「この鳥は今、何かを考えているのだ」と夢想することで、初めて鳥の「たたずまい」を感じることができるのだ。
 「単なる姿ではなく、時間の経過があってその身が存在しているのだということ。それが感じられる空間が美しく、確かに展開しているとき、それは『たたずまい』として感じられるのではないでしょうか」
 したがって、作家はじっと鳥を見て、鳥が何を考えているのか、これからどうしようとしているのかということを夢想し、作品の世界を作り上げていく。「いい絵というのは、そう簡単にはできません。それは、こちらの思い入れがまだまだ浅いからなのだと、反省するところであります」。

 

具体性を取り去ることで生まれる自由な世界


 花鳥画の世界では、一切の具体性を伴わないという特徴がある。たとえば画面に横から枝が出ているとすると、本来なら枝の向こうには空や山、あるいは建物が見えたりする。しかし、そういうものをあえて描かず、全部抜いてしまう。対象のものが生きているその空間の中に己の身を置いて、そこから醸し出される世界の中に、作家の思いを表現するのが花鳥画の世界なのだ。
 これに対して、三次元の世界で全部描いていくという認識のもとに、具体的にしか描けないのが西洋画の特徴ともいえる。すべてをそのまま描こうとすると、場所などが限定されてしまうため、さまざまな矛盾も生じてくる。
 その点、具体性がなく限定されない日本画では、独自の空間を作り出すことができる。西洋でもマネやゴッホなどは、具体性を伴わない空間の中に作家の思いが込められて展開する世界のすばらしさを理解し、興味を持った。彼らは、それを「自由に解釈できるすばらしい空間」という言葉で表現し、共鳴した。「我々日本人はそれを普通だと思っています。それを感性として持っているが故に生まれたのが、東洋の文化なのです」。

余白に込められた象徴表現
 

 たとえば外で咲いている梅の枝を部屋の中に持ち込んで、あたかも外にあるかのように描こうとしても、絶対にうまくはいかない。梅は、本来は外で寒風にさらされ、まわりのものと触れあいながら咲いている。自分もそうした自然の中に身を置き、野外の空気を感じながら、同じ空間を共有して描いたものと、ぬくぬくとした部屋の中でぽつんと置いた梅を描いたものとでは、手つかずの白いところに、明らかな違いが表れてくるのだという。
 手つかずの白いところ、すなわち余白というのは、限定しない世界でいくらでも発想を展開していける自由さの中に生まれる、具体物を象徴化した場所だ。「ですから、画面に描かれている花も鳥も、すべて象徴的な表現でないと合いません。そうした象徴表現というものが日本文化の根幹であると、私は考えています」。
 たとえば、日本舞踊や能楽における舞には具体性は何もない。その代わり、その舞において象徴化された所作というのは、リアリティがないとただ単に動いているとしか見えず、何の意味もない。踊り手の名手は、自分が表現しようとするものを象徴化した、リアリティのある所作を以て、その世界を展開していく。
 「東洋画というのは、西洋にありがちな、具体性を持たせた三次元の世界でないとものの存在が確認できない、説明ができないというのとはまったく違った考え方の中で、展開しています。そのことを、ぜひみなさんに知って欲しいと思います。今の世界では、それは理解されない、理解しようとしてもできない、そういう文化になりつつあります。しかし、皆さんには、むしろそれを誇らしく思って、日本の文化を発展させていってほしいと願っているし、私自身もそうありたいと考えています」。

 

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質疑応答


【塾生】
松井冬子さんの千鳥ヶ淵の夜桜を描いた作品を見たとき、黒く塗られた風景からいろいろなものを感じました。この絵のように色を塗っただけで何も描かないものも、余白というのでしょうか?

【上村さん】
余白とは、本来は文字通り白なのですが、感情移入をすると何かの色を塗りたくなることがあります。それが具体性を伴ったものでなければ、余白と言っていいのではないでしょうか。ただ、究極は白でやりたいなとは思います。

 

【塾生】
以前、別の機会に上村さんのお話を伺ったとき、「写真を見ながら絵を描いてはいけない」とおっしゃいました。それについて、もう少し詳しく説明してください。

【上村さん】
何かを見て「いいな」と思っても、それが写真という記録の世界にある場合、「ああ美しいな」と思っている時間がないために、脳裏には残っていません。その場で自分の目でじっと見つめる中で、その世界を自分の脳裏に焼き付けることが必要なのです。もうひとつ、写真というのは無表情だけれど、人間の目には感情がある。そこが大事です。写真は単に真実を写しているだけです。記録として残した、限定された世界にしか展開しないものに頼ってはいけません。生の体験を通して、私たちの目、心眼で見た、そこに展開している美しい世界を作っていくことが重要なのです。

 

【塾生】
上村さんご自身の絵画にまつわる宗教観や、どのようなお気持ちで宗教と対峙されているのかを教えてください。

【上村さん】
日本の我々の世代には、「一木一草に神仏が宿る」という考え方があります。それは、別に特定の宗教の神という具体的なものではなく、非常に美しい姿を見せてくれた対象に対して、心の中で感謝の気持ちを抱くということです。対象の中に宿っている神仏を感知して、そこに我々を導いてくださる大変な物があるのだというような考え方ではないでしょうか。

 

【塾生】
絵を描くのは、才能でしょうか、それとも訓練でしょうか。また、絵を感じるのは、才能でしょうか、それとも訓練でしょうか?

【上村さん】
才能というものは、努力した中で出てきた物を才能というのだと思います。適性があって、それが訓練によって大きく育っていくと、才能という名前になるのではないでしょうか。見るときも同様に、名画だと思っていたものが、ある時期つまらないと感じることがあります。見る側が、自分自身を成長させることによって、目線が変わり、その結果として、対象に対する評価の仕方が変わってくることは、ありえるでしょう。

 

【塾生】
今後の日本画に対する願い、思いを聴かせてください。

【上村さん】
日本画がかくあらねばならないというような決まりはまったくありません。ただ、日本画の根幹を成している、自然に対して畏敬の念を持つという日本人の感性、これはちょっと他に例がないものです。それが最近はなくなりつつあるように感じるので、大事にしてほしいなと思います。


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1枚の絵の中に、これほどまでに奥深い世界が広がっていること知り、日本文化の崇高さに引き込まれるようなひとときだった。それを育んできた日本人ならではの感性に思いをはせることは、芸術を理解することに留まらず、一人ひとりが自分の生き方を見つめることにもつながっていくのではないだろうか。

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