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第6期コア・プログラム
ベーシック・ナレッジ「日本人の死生観」

講師:坂井 音重
(重要無形文化財 総合保持者 観世流 坂井職分家 当主)
インタビュアー:羽田功(慶應義塾大学経済学部教授)
ライター:永井祐子
セッション開催日:2011年12月1日

  2001年、能楽がユネスコの世界無形文化財に日本で初めて指定された。今回講師に迎えた坂井音重さんは、その第一線で活躍する観世流能楽師だ。その活躍は国内にとどまらず、世界各国での公演実績を持つなど、長年にわたり国際文化交流にも貢献されている。

 

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ロシア人の死生観と、能の世界との共通点は

  セッションの冒頭、2004年3月にロシアで公演された『隅田川』の舞台を記録した映像の一部が披露された。ロシア国民の芸術に対する審美眼や洗練度の高さは、よく知られるところである。その芸術への目が肥えた観客を前に、この公演は大成功を収めた。「芸術や文化のしっかりした基層を持つ人々は、たとえ異文化であっても、良いものは良いと受け入れる感性を持っているのだということを実感しました」。

  ツルゲーネフの『初恋』、チェーホフの『かもめ』など、ロシア文学には、日本人の心にも通じる「滅びの美学」が描かれているとも言われる。そういう意味では、ロシア人の心には、能が描き出す世界に共通するような感性が内在しているのかもしれない。

  ロシアでは、この公演が行われた2年前に、169人もの犠牲者を出して日本でも大きく報じられた、モスクワ劇場占拠事件が起きている。坂井さんらの公演は、その原因となるチェチェン紛争がまだ収束していない時期のことだった。周辺はテロへの警戒態勢が敷かれるなど、かなり緊張感が漂っていたという。「劇場から歩いて5分の距離にあるホテルに戻るときにも、危険を回避するために20分かけてバスで遠回りしろと言われました。日頃日本にいたのでは、とうてい味わえないような緊迫感を感じましたね」。
  どんな不測の事態が起こるかわからないという当時のロシアの状況は、生きることと死ぬこと、つまり死生観に対しての人々の考え方にも、大きな影響を与えていたことだろう。能には、「人間はどうして生きているのか」「どうやって一生を終えるのか」という主題があるが、潜在的に死への緊張感と相対峙していた当時のロシアの人たちにとって、能の持つこうしたテーマがどのように受け取られたのかは、興味深いところである。

欧米化で軽んじられてきた伝統文化に、復活の流れ

  室町時代に生まれた能は、戦国武将にこぞって保護され、特に信長や秀吉は自らも舞うほど能を好んだと言われている。江戸時代になると、各藩がお抱えの能楽師を抱えるなど武士の芸術として愛好された。同時に、能の台本である「謡」や、「仕舞」(面や装束をつけず、謡だけで舞うこと)は、武士だけでなく庶民の間でも、当時の人のたしなみとされていたという。「現代のように標準語というものがなかった時代には、能の謡の言葉がそれに代わる共通語として機能することもありました。幕末に薩摩藩と会津藩が会談した際、互いの方言が理解できないために、謡の言葉で会話したというエピソードも残っているぐらいです」。

  そのように日本国民に広く愛されてきた能も、明治維新による近代化、そして第二次大戦後の欧米化という逆風で、その土台を揺すぶられることになる。新しいものがどんどん入ってくる中で、それまでの日本の伝統的なものが否定されていく。その結果、戦後の義務教育では、能を教えない時代が長く続いてきた。「確かに日本の経済は発展したかもしれせん。しかし、日本人の心、大切にするべき価値観が壊されてきたという面があったことは、否定できないと思います」。

  一方で、2001年にはユネスコの世界無形文化遺産に指定されるなど、能楽は芸術文化として世界的な評価を受けている。国内においても、伝統文化を軽んじてきたことによる弊害への反省を踏まえて、2006年に60年ぶりに改訂された教育基本法において「伝統と文化を尊重する」という内容が盛り込まれることになった。学習指導要領にも、能や狂言を国語や音楽、日本史などの教科で取り上げていくことが記された。「長いブランクのせいで、これを正しく教えられる教師がほとんどいなくなってしまったことは残念ですが、今後は子どもたちがこうした伝統文化に触れる機会が増えてくるだろうと期待しています」。

他者へのまなざしを伝え、未来の設計図の手がかりに

  近代化による日本人の価値観の変化という点では、個人戦から集団線へと戦い方が変わったことで、「個」の生や死への視点が失われてきたという側面も挙げられるかもしれない。

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   能の演目には『修羅物』というジャンルがある。生前戦いに明け暮れていたために、死後もなお戦い続けなければならない修羅道という地獄に堕ちた武士が、亡霊となって現れ、その苦しみを語るというものだ。「これが意味するものは、武士は常に刀を持っているけれども、よほどのことがなければ抜いてはいけないという戒めでもあったのだと思います」。

  一方で、現代の集団兵器を用いた戦争では、ボタン1つ押すだけで、多くの命がいとも簡単に失われてしまう。そこでは「個」の死というものが見えにくくなる。「その象徴的なものが核兵器です。これを止めることは簡単ではないけれど、それを成し遂げるカギとなるのは、人の心の中にある慈しみ、他者へのまなざしなのだと私は思います」。

  「そのために私が今できるのは、体調を整え良い舞台を見せ、伝えたいことを精一杯伝えていく。それを見た人が自然の情感を感じ、優しい心をもってくれればいいなと思っています。そうした思いが文化として広く共有できれば、私たちが明るい未来の設計図を描くための手がかりになるのではないでしょうか。プロとして舞台に立つ人間は、そういう働きかけを発信できる人間でなくてはいけない。それを肝に銘じて指導に当たっています」。

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  比較的年齢層の若い受講生たちは、「死」を身近な問題として考えた経験は今まであまりなかった人が多いだろう。しかし、能が、人間の死や情念という闇の部分を演じながら光を描いているように、「死とは何か」を考えることは「生とは何か」「どう生きるのか」を問いかけることでもある。この日坂井さんが語ってくれた能の世界観を通じて、改めて生と死、そして救済について考えてみるという視点は、新鮮なアプローチとなったのではないだろうか。

 

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